2023年11月4日 旧甲州街道を走ってきました(日本橋-八王子宿)

マーカーリスト

写真レポート


東京駅

2023/11/04 08:33:49

東京駅

今回は、旧甲州街道を走ってきます。
五街道のひとつ甲州街道は、江戸日本橋を起点に、小仏峠や笹子峠を通り、甲府を経て信州の下諏訪を結びます。
下諏訪で中山道に合流するまで44次の宿場が置かれ、距離は53里24町(約212km)あったそうです。
甲州街道は当初、江戸城と甲府城を結ぶ軍事目的を主眼としたものだったそうです。
江戸中期頃からは、甲州・信州などから江戸への流通の道として重要性が増え、江戸100万人の生活を支える動脈として発展していきました。



日本橋

2023/11/04 09:03:14

日本橋

江戸時代には日本橋は五街道の起点として、江戸における交通や物流の要所でした。
現在でも道路標識における東京までの距離計算の起点は、日本国道路元標が設置されている日本橋になっています。
江戸時代から武家屋敷が立ち並ぶ山手に対して、町人文化の中心地下町を代表する地域でした。
新宿や渋谷などの比較的歴史の浅い街が多い東京で、日本橋は江戸初期からの歴史と伝統を持つ数少ない地域です。
近代以降も重要な場所だった日本橋には、国の重要文化財に指定されている建築物が数多くあります。



和田倉橋

2023/11/04 09:17:27

和田倉橋

内濠(和田倉濠)に架かり、皇居外苑東側から丸の内一丁目や東京駅方向に通じる橋です。
和田倉橋は江戸警護の一環、和田倉門の警護の目的で造られました。
和田倉門には鉄炮10挺、弓5張、長柄槍10筋、持筒2挺、持弓1組が常備されていたそうです。
安土桃山時代の1590年頃に和田倉門橋が完成したそうです。
1657年の明暦の大火を経て、1661年に和田倉門と二代目和田倉門橋が建造されました。
1923年(大正12年)の関東大震災により橋が落ち、1953年(昭和28年)に三代目の和田倉橋が建造されました。



桜田門

2023/11/04 09:28:22

桜田門

桜田門は、江戸城の内堀に造られた門の一つです。
1860年(安政7年)に、大老井伊直弼が桜田門の近くの堀端で水戸浪士らに暗殺される「桜田門外の変」が起きました。
また、1932年(昭和7年)には昭和天皇の暗殺未遂事件(桜田門事件)が起きています。
1961年(昭和36年)に旧江戸城外桜田門として国の重要文化財に指定されました。



玉川上水水番所跡

2023/11/04 09:57:17

玉川上水水番所跡

玉川上水は多摩川の羽村堰で取水していました。
四谷大木戸までは開渠で四谷大木戸から江戸市中へは石樋や木樋で水道管を地下に埋設して通水していたそうです。
水番所には水番人1名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持していました。



仙川一里塚跡

2023/11/04 11:01:32

仙川一里塚跡

甲州街道と三鷹街道の交差点に仙川一里塚跡の小さな石碑があります。
日本橋から仙川一里塚跡までは5里ありましが、内藤新宿、上高井戸、下高井戸の3ヶ所の宿場があったそうです。
残念ながら宿場だった雰囲気はありませんでした。
内藤新宿は現在の新宿駅付近に、下高井戸宿は京王線の桜上水上駅付近に、上高井戸宿は京王線の八幡山駅付近にあったそうです。
下高井戸宿と上高井戸宿は合宿で、継立は1ヶ月のうち前半の15日が下高井戸宿、後半15日が上高井戸宿の勤めでした。



調布駅

2023/11/04 11:24:57

調布駅

調布駅は京王電鉄の駅で、京王線の主要駅であり、京王線と相模原線の分岐駅です。
京王線調布駅付近連続立体交差事業により、2012年(平成24年)に布田駅・国領駅とともに地下化され、周辺の道路事情か改良されました。
布田五宿は、甲州街道にあった国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿の5つの宿場の総称で調布駅周辺にありました。



大國魂神社

2023/11/04 11:56:34

大國魂神社

大國魂神社は大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)を武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。
この大神は、出雲の大国主神と御同神だそうです。
大昔に武蔵国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、医療法やまじないの術も授けられた神様と伝えられています。
また、縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様です。
1900年の歴史があり、古くより武蔵国の守り神として祀られた神社です。



府中高札場跡

2023/11/04 12:18:44

府中高札場跡

府中市役所前の交差点に高札場跡がありました。
府中高札場は大國魂神社の御旅所にあります。
ここは札の辻と呼ばれ、甲州街道、川越街道及び鎌倉街道が交差する府中宿の中心地でした。
府中高札場は往来の多い宿場にあったため、他の村よりも多くの高札が掲げられていたそうです。



日野の渡し場跡

2023/11/04 12:49:50

日野の渡し場跡

日野の渡しは府中宿と日野宿を結ぶ渡し舟で、日野宿が経営していたそうです。
多摩川を越える日野の渡しは、夏の渇水期には仮土橋で渡り、冬場は舟渡しでしたが、1824年(文政7年)からは通年、舟渡しになりました。
日野の渡しは1684年(貞享元年)頃から、現在の日野橋ができる1926年(大正15年)まで続けられました。



日野宿本陣

2023/11/04 13:07:41

日野宿本陣

日野宿は、甲州街道の日本橋から数えて10番目の宿場町です。
日野宿本陣は、土方歳三と近藤勇が出会った場所だったそうです。
沖田総司や井上源三郎、山南敬助など、新撰組設立時のメンバーも出入りしていたそうです。
都内の宿場町で本陣や脇本陣の敷地と屋敷が現存するのは日野宿本陣だけになっています。
当初建築された日野宿本陣は江戸末期(1849年)に焼失しましたが、1864年に再建されたものが現在まで残っています。



竹の鼻一里塚跡

2023/11/04 14:12:26

竹の鼻一里塚跡

竹の鼻公園の脇に一里塚の石碑がありました。
江戸時代初期の頃は、このあたりが八王子宿の入口だったそうです。
塚木の大榎は1897年(明治30)の八王子火災で焼失してしまい、現在は石碑があるだけになってしまいました。



八日市宿跡

2023/11/04 14:22:17

八日市宿跡

八王子城は北条氏照の居城でしたが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の家臣の前田利家の攻めによって落城しました。
後に領主となった徳川家康は新たな街づくりを命じ、街道沿い横山宿、八日市宿、八幡宿の三宿が開かれました。
この三宿を総称して八王子宿と言われていたそうです。
江戸時代に入ると、八王子は甲州街道の宿場町として、また地域経済の中心都市として発展しました。
八日市宿は横山宿と並び本陣と脇本陣がおかれ、山上家や新野家が本陣役を勤めるなど、八王子の中心的な役割を担っていました。



高尾駅

2023/11/04 14:51:08

高尾駅

今日は八王子駅まで走れれば良いかと思っていたのですが、高尾駅まで走ることができました。
次回は小仏峠をどうしようかとか考えながら駅横で、自転車を分解していました。