2023年08月02日 中ノ島を走りました(1日目)

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写真レポート


隠岐空港

2023/08/02 10:29:53

隠岐空港

島根半島の海上に浮かび、日本海の楽園と言われている隠岐諸島にある空港で、隠岐世界ジオパーク空港の愛称があります。
現在は、伊丹空港と出雲空港からの定期便が就航しています。
今回の自転車旅は、島前三島(中ノ島、知夫里島、西ノ島)を走ってきます。



西郷港

2023/08/02 11:00:43

西郷港

島前三島に向かうためには、フェリーか高速船を使うしかありません。
本土側からは、七類港及び境港から島前三島と西郷港を結んでいます。
西郷港では、ゲゲゲの鬼太郎のモニュメントが出迎えてくれました。
12時5分発の島前三島を経由して七類港へ向かう、「フェリーおき」までは少し時間があるので待合室でノンビリしていました。



菱浦港

2023/08/02 13:26:04

菱浦港

海士町の中ノ島にある菱浦港までは、約1時間10分の船旅です。
フェリーは菱浦港で約2時間停泊するので、西ノ島や知夫里島へ向かう人は島内内航船に乗り換えます。
島内内航船は、島前三島をフェリーと客船で巡回しています。
客船にも自転車の積み込みができるので、島前三島を自転車で走る場合は有効活用できそうです。



八雲広場

2023/08/02 13:30:55

八雲広場

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が滞在した岡崎旅館の跡地に、整備された公園がありました。
小泉八雲は1892年(明治25年)に菱浦湾の畔にあった岡崎旅館に滞在し、菱浦湾に「鏡浦」と名付けたといわれています。
隠岐のなかでも菱浦を最も気に入った八雲は、ここに8日間も滞在しました。
その時の様子を著作「知られざる日本の面影~伯耆から隠岐へ」の中に著しています。
小泉八雲と妻のセツの銅像やラフカディオ・ハーン来島100年記念碑がありました。
屋根が着いた東屋もあるので、「鏡浦」を眺めるのも良いと思います。



北分大橋

2023/08/02 13:48:35

北分大橋

北分大橋は、北分湾に架かる橋で、海士町で唯一の橋だそうです。
中ノ島を時計回りに一周します。
今日一日で一周することはできないので、16時頃まで走れるところまで走る予定です。
中ノ島は面積約32.2平方キロメートルで、周囲約89kmの島で、主な産業は漁業や観光業です。



島後を望む

2023/08/02 14:09:55

島後を望む

中ノ島を周回する道路からの展望は、あまり良くありません。
アップダウンを繰り返し走っていると、所々で展望が良い所がありました。
遠くに約13km離れた島後(隠岐の島町)を見ることができます。



宇受賀命神社

2023/08/02 14:25:00

宇受賀命神社

宇受賀命神社は、平安時代に編纂された延喜式神名帳において、出雲大社と同格の「名神大社」に格付けされています。
神話では、宇受賀命と西ノ島の神が女神を取り合って力比べをし、女神は勝利した宇受賀命の子を明屋海岸で産んだとされています。
宇受賀命は隠岐独自の神様で、家内安全、領土・領海防衛、縁結び、安産の神様として信仰を集めています。



宇受賀漁港

2023/08/02 14:28:30

宇受賀漁港

中ノ島の北部の宇津賀地区は水田と畑が多い農業地域です。
また、日本海に面する宇受賀漁港があります。



明屋海岸展望所

2023/08/02 14:51:05

明屋海岸展望所

周回道路からは明星海岸を見下ろせる展望台がありました。
木製で少し頼りない感じの展望台でしたが、少し高い場所からだと雰囲気も違って見えると思います。
通り抜ける風が気持ち良かったです。



明屋海岸

2023/08/02 15:17:06

明屋海岸

赤い断崖と紺碧の海のコントラストが美しい、女神がお産をしたという神話が残る海岸です。
太古の火山活動で形成された赤い崖と、波に削られた岩山が眼前に広がり、神話にある産屋のたらい岩と屏風岩が、海面に浮かんで見えます。
夏期は海水浴場・ダイビングスポットになり、町営の明屋キャンプ場も開設されます。
今日の海士町は台風からの風の影響でフェーン現象になり、最高気温は33度の真夏日になってしまいました。
ジュースの自動販売機や休憩スペースがあったので、かなりノンビリしていました。



豊田漁港

2023/08/02 15:33:27

豊田漁港

豊田漁港は、中ノ島の東端に位置する漁港で、島根県が管理する第2種漁港に指定されています。
漁業は刺し網、定置網、一本釣り、延縄等が盛んで、イカ、ブリ、タイ、トビウオ、メバルなど、中高級魚が水揚げされています。
今日の中ノ島一周は、豊田漁港までにして、宿がある町の中心に向かうことにしました。



後鳥羽上皇行在所跡

2023/08/02 15:59:28

後鳥羽上皇行在所跡

後鳥羽上皇(1180~1239:第82代天皇)は、北条義時追討の院宣をもって鎌倉幕府転覆を企てましたが失敗します。
この承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は隠岐に配流されます。
配流後、御所となったのが源福寺です。
悲憤の生活の心の支えは念仏と歌の道であったといいます。
ちなみに、隠岐地方では配流(流罪・流刑)とは言わず、御還幸(天皇が出先から帰ること)と言っています。



後鳥羽天皇御火葬塚

2023/08/02 16:02:45

後鳥羽天皇御火葬塚

島の人々に現在も大切にされている後鳥羽天皇の山稜です。
後鳥羽天皇が崩御された後、遺体はこの地で荼毘に付されました。
遺骨の大部分は今の御火葬塚に納められましたが、1873年(明治6年)に明治天皇により大阪の水無瀬神宮に合祀されました。
1874年(明治7年)に祠殿は取り壊され、山陵はその後、第82代後鳥羽天皇御火葬塚として宮内庁で管理されています。



後鳥羽上皇行在所跡

2023/08/02 16:04:50

後鳥羽上皇行在所跡

後鳥羽上皇が滞在中、心の支えであった和歌の舞台にもなった仮御所の跡地です。
かつて源福寺というお寺が在った場所で、後鳥羽上皇は仮御所として配流されてから崩御されるまでの19年間をここで過ごしていました。
「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」という有名な句以外にも、隠岐を舞台に「遠島百首」で表される多くの歌を残しています。



隠岐神社

2023/08/02 16:09:23

隠岐神社

後鳥羽上皇行在所跡の隣に、隠岐神社がありました。
鎌倉時代に海士町に配流された後鳥羽上皇をお祀りしている神社です。
境内は約56000平方メートルと広大で、参道の両側に桜並木が続き桜の名所として知られています。
毎年4月14日と10月14日に例大祭が行われています。



隠岐神社

2023/08/02 16:27:23

隠岐神社

1939年(昭和14年)に後鳥羽上皇の崩御700年に合わせて建てられた、比較的新しい神社です。
隠岐造りと呼ばれる隠岐の伝統的な建築様式で造られており、その重厚さから厳かな雰囲気を感じさせます。
近くには後鳥羽院資料館があり、後鳥羽上皇や隠岐神社に所縁ある史料が展示されています。