2023年05月27日 世界遺産の毛越寺や中尊寺に行ってきました

マーカーリスト

写真レポート


一ノ関駅

2023/05/27 08:28:21

一ノ関駅

昨晩は一ノ関駅近くのホテルに泊まりました。
大きい街なのですが、夜遅くになると往来する人はかなり少なかったです。
今日は世界遺産の毛越寺や中尊寺に行ってきます。



平泉駅

2023/05/27 09:04:06

平泉駅

平泉駅はJR東日本東北本線の駅で、1898年に日本鉄道の駅として開業しました。
中尊寺や毛越寺への観光の拠点の駅です。
駅前からは平泉観光に向かうバスやタクシーが発着していました。
レンタサイクルもあるので、中尊寺や毛越寺への利用にはいいかもしれません。



無量光院跡

2023/05/27 09:13:16

無量光院跡

無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院でした。
平安時代末期に奥州一帯に勢力を振るった奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺を造営しました。
そして三代秀衡が建立したのが無量光院です。
当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院だったと伝わっています。
寺院跡は「無量光院跡」として国の特別史跡に指定されています。
2011年(平成23年)に、世界遺産の構成資産の一つとして登録されました。



平泉文化遺産センター

2023/05/27 09:20:21

平泉文化遺産センター

平泉文化遺産センターは、世界遺産に登録された資産を含めた平泉の文化遺産の魅力を、紹介しているガイダンス施設です。
展示物も多く詳しく解説されていて、歴史に詳しくなくても平泉が栄えていった様子がわかります。
無料で見学ができ、駐車場も広いです。
史跡を訪れる前に見学すると、より平泉の歴史を理解することができると思います。



観自在王院跡

2023/05/27 09:38:36

観自在王院跡

観自在王院は、藤原氏二代基衡の妻が建立した寺院で、1573年に焼失したと伝わっています。
1954年(昭和29年)から始まった発掘調査により、大小2棟の阿弥陀堂を含む複数の建物や浄土庭園の遺構が確認されました。
ほぼ完全な状態で残っている庭園は、当時の作庭技法を理解するのに貴重だそうです。
観自在王院庭園は、12世紀(平安時代)の浄土庭園(浄土を具体的に表現した寺院庭園)の優れた事例として高く評価されています。
2011年(平成23年)に、世界遺産の構成資産の一つとして登録されました。



毛越寺

2023/05/27 09:44:01

毛越寺

毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡公から三代秀衡公の時代に多くの伽藍が造営されました。
最盛期には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。
境内は「毛越寺境内 附鎮守社跡」として国の特別史跡に、庭園は「毛越寺庭園」として特別名勝に指定されています。
2011年(平成23年)に、世界遺産の構成資産の一つとして登録されました。



毛越寺 本堂

2023/05/27 09:55:12

毛越寺 本堂

毛越寺一山の根本道場である本堂は、平安様式の建物で、1989年(平成元年)に再建されたものです。
本尊は薬師如来で、平安時代の作と言われています。
本尊の脇士は日光・月光両菩薩で、その周りには本尊守護の四天王が安置されています。



毛越寺 開山堂

2023/05/27 10:01:02

毛越寺 開山堂

毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀る堂です。
慈覚大師は、天台宗第3代座主となり生前の業績を称えられ、日本初の大師号を授けられました。
在唐9年間の紀行の入唐求法巡礼行記は、マルコポーロの東方見聞録、玄奬三蔵の西域記とともに、三大旅紀行として高く評価されています。
大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像が安置されています。



毛越寺 常行堂

2023/05/27 10:09:11

毛越寺 常行堂

本尊は宝冠の阿弥陀如来で、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神が祀られています。
摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。
奥殿の扉はは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。
毎年正月20日には、古式常行三昧の修法が行われ、国指定の重要無形文化財である「延年の舞」が奉納されます。
現在の常行堂は、1732年(享保17年)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されました。



毛越寺 大泉が池

2023/05/27 10:15:25

毛越寺 大泉が池

大泉が池を中心とする浄土庭園が広がっています。
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園です。
毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。
庭園の作者は不明だそうですが、多くの場所で作庭記流の意匠が見られることから、作庭記に精通した人の作であることがうかがえます。



中尊寺

2023/05/27 10:33:56

中尊寺

中尊寺は嘉祥3年(850年)に、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれたと伝わっています。
その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
その趣旨は前九年役・後三年役という長い戦乱で亡くなった人々の霊をなぐさめ、仏国土を建築するものでした。
14世紀に惜しくも堂塔は焼失しましたが、いまなお金色堂はじめ3000余点の国宝や重要文化財を伝える平安美術の宝庫です。
2011年(平成23年)に、世界遺産の構成資産の一つとして登録されました。



中尊寺 弁慶堂

2023/05/27 10:48:51

中尊寺 弁慶堂

弁慶堂は1827年(文政10年)の建立で、五方鎮守の火伏の神の勝軍地蔵菩薩を祀っています
古くは愛宕堂と称していましたが、義経・弁慶の木像を安置し、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。
堂内の格天井には60種余りの草花が描かれています。



中尊寺 地蔵堂

2023/05/27 10:52:05

中尊寺 地蔵堂

1877年(明治10年)の再建で、本尊は地蔵菩薩です。
地蔵堂の中には多くのお供え物をされたお地蔵様が安置されていました。
隣に建つ祠には道祖神が祀られています。



中尊寺 薬師堂

2023/05/27 10:56:31

中尊寺 薬師堂

本尊の薬師如来で、日光・月光菩薩と十二神将が安置されています。
和歌山県の熊野より飛来したと伝えられる熊野権現の御神体を並び祀っています。
正月4日には中尊寺一山の僧侶によって修正会が行われます。



中尊寺 本堂

2023/05/27 10:59:44

中尊寺 本堂

中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院で構成される一山寺院です。
本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909年)に再建されました。
古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。
本尊は丈六の釈迦如来で、高さ約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像です。
中尊寺は天台宗の天本山であり、本尊の両脇にある灯籠には、宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されています。



中尊寺 金色堂

2023/05/27 11:20:40

中尊寺 金色堂

覆堂の中には、黄金に輝く金色堂があります。
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、1124年(天治元年)に上棟されました。
堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です。
平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感じがします。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。



中尊寺 経蔵

2023/05/27 11:31:30

中尊寺 経蔵

中尊寺の経蔵は、中尊寺経を納めるために建立された堂で、「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」だったそうです。
1337年(建武4年)の火災で上層部を焼失したと伝えられていますが、古材をもって再建されたもとして考えられています。
内部には国宝の螺鈿八角須弥壇が置かれ、壇上には獅子に乗った文殊菩薩像と従者4体からなる重要文化財の文殊五尊像が安置されていました。
現在これらの宝物は、2000年(平成12年)に新築された讃衡蔵に移されています。
中尊寺経は国宝に、経蔵は国の重要文化財に指定されています。



中尊寺 旧覆堂

2023/05/27 11:32:00

中尊寺 旧覆堂

金色堂を風雪から護るために、1288年(正応元年)鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる堂です。
松尾芭蕉をはじめとする文人墨客や伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物は、薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝したそうです。
1963年(昭和38年)に今の覆堂が建てられるにあたり、こちらの場所に古い覆堂が移築されたそうです。
近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、何度かの増改築を経て現在の形になったと考えられています。
現在の建物は室町時代に建てられたと考えられていて、国の重要文化財に指定されています。



中尊寺 白山神社

2023/05/27 11:43:09

中尊寺 白山神社

中尊寺の北方を鎮守するため、850年(嘉祥3年)に中尊寺を開いた慈覚大師円仁がこの地に勧請したと伝えられています。
日本各地に数ある白山神社の一つで、かつては中尊寺の鎮守社でした。
神社前にある能舞台は、1853年(嘉永6年)に仙台藩主伊達慶邦によって再建されたものです。
近世の能舞台としては東日本唯一のものであり、2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定されています。



白鳥舘遺跡

2023/05/27 12:40:55

白鳥舘遺跡

白鳥舘遺跡は、北上川と白鳥川が合流する付近の、北上川に半島状に突き出た丘陵にあります。
この遺跡は、平安時代末期の豪族である安倍頼時の八男、白鳥八郎則任が居城していたと言われています。
今も郭跡や空堀など中世後期の城館跡が残っています。
発掘調査で、10世紀から16世紀まで集落や城館として断続的に使われていたことが判明しています。



白鳥舘遺跡

2023/05/27 12:46:25

白鳥舘遺跡

白鳥舘遺跡がある場所は、北上川両岸の丘陵が迫る狭隘部で、平泉地域の北辺に当たる場所にあります。
北上川の水運とも関連して、軍事、交通、経済上の要衝であり、奥州藤原氏の時代以前から要害の地として機能していたと考えられます。
11世紀、安倍氏、清原氏の拠点だったとされる衣川から白鳥にかけての白鳥舘遺跡は、歴史的背景を物語る重要な遺跡です。



北上川

2023/05/27 14:16:32

北上川

国道397号の新小谷木橋で北上川を越えました。
今までの小谷木橋は老朽化の進行、幅員狭小といった課題がありました。
また東日本大震災では橋脚が傾き、約4ヶ月間の全面通行止めとなるなど、甚大な被害が発生しました。
国道397号は、東日本大震災の際には、内陸部と沿岸部を結ぶ道路として、自衛隊や消防、救援物資の輸送等に重要な役割を果たしました。
そこで、復興支援道路の一環として、小谷木橋が架け替えられました。



水沢江刺駅

2023/05/27 14:26:12

水沢江刺駅

ゴールの水沢江刺駅に到着しました。
水沢江刺駅はJR東日本東北新幹線の駅で、1985年(昭和60年)に開業しました。
東北新幹線が大宮-盛岡が開業した1982年(昭和57年)時点では、水沢江刺駅は未設置でした。
東北新幹線の建設計画が持ち上がった時から、地元では駅設置の住民運動が行われました。
1985年(昭和60年)3月14日に東北新幹線の上野-大宮の開業と同時に、水沢江刺駅は開業しています。