2022年11月02日 79番札所天皇寺から83番札所一宮寺へ

マーカーリスト

写真レポート


79番札所 天皇寺

2022/11/02 07:41:10

79番札所 天皇寺

昨日の雨が嘘のように青空が広がってくれています。
昨日打ち終えた天皇寺に戻り、今日のお遍路のスタートです。
天皇寺の前で、今日の安全を祈願して出発しました。



80番札所 国分寺

2022/11/02 08:22:05

80番札所 国分寺

天皇寺から80番札所国分寺へは予讃線沿いに、鴨川駅からは綾川沿いに走りました。
うどん屋さんの先に手作りの道しるべあり、その指示に従い左に向かいます。
その道しるべには、国道ををくぐるとありましたが、くぐった所で迷っていると、散歩中の方から先に右に入る所があると教えてくれました。
右に入る所には、道しるべ等はありませんでした。
国道11号バイパスの歩道を走り、県道33号の交差点を左折し国分寺へと向かいました。



国分寺 本堂

2022/11/02 08:30:05

国分寺 本堂

奈良時代に聖武天皇が国の安穏、五穀豊穣、地方文化の発展などを願って全国に建立された国分寺の一つです。
讃岐国の国分寺は行基が本尊に巨大な千手観音像を彫像して建立したと言われています。
その後、弘法大師空海がこの寺を訪れ、本尊を補修して霊場に定めたそうです。
本堂は鎌倉時代に作られたもので、5間四方の瓦葺入母屋造りで、国の重要文化財に指定されています。



国分寺 大師堂

2022/11/02 08:33:05

国分寺 大師堂

国分寺の梵鐘は天平年間に作られたそうで、香川県内に現存する鐘の中で最古のものとされ、国の重要文化財に指定ています。
また、発掘調査で奈良時代には南北240m、東西220mの寺領の広大な寺域に伽藍が建ち並ぶ大寺院だったことがわかっています。
天正の兵火で本堂と本尊と鐘楼を残して大部分がが焼失してしまいました。
その後、江戸時代に高松藩主松平家により再建されたそうです。
境内の北側には、昔の国分寺の痕跡を示すものが保存されており、「讃岐国分寺跡」として国の特別史跡に指定されています。



鴨川駅

2022/11/02 09:27:25

鴨川駅

JR四国の予讃線の駅です。
1897(明治30)年に讃岐鉄道が高松-丸亀間の開通の時に開業しました。



県道180号

2022/11/02 09:52:00

県道180号

白峯寺は、香川県の霊峯である五色台に位置しています。
鴨川駅まで戻り、県道180号に進路を取ります。
本格的な上り坂に入るまでも、だらだらした坂が続きました。
高家神社までは、特にキツク感じました。
鳥居が遠くから見えるのですが、なかなか近づいてくれない程でした。
展望が開けた場所で、休憩していました。



休憩所

2022/11/02 10:12:45

休憩所

大きなカーブの所に東屋があったので、少しノンビリしていました。
歩き左1km、車右4kmとあったので、僕のペースだと1時間弱かかるなと。
途中で抜いた歩き遍路の方が追い付いてこられ、少しお話をしていました。



白峰展望台

2022/11/02 10:46:00

白峰展望台

坂出の街並みの先には、瀬戸大橋を眺めることができました。
桜が綺麗な場所だそうです。
上り坂の連続でしたが、ここからはペダルを回すことが無く白峯寺に着くことができました。



81番札所 白峯寺

2022/11/02 10:48:10

81番札所 白峯寺

休憩所から白峯寺へは、約40分かかりました。
最後の約500mは下りだったので、予想していた時間より早かったのかな。
他の方は、もっと早く走れると思いますが。
休憩所でお話しした歩き遍路の方は、既に白峯寺を打ち終えて、82番札所へ向かう所でした。
休憩所から白峯寺までは、1kmダラダラとした階段が続いたそうです。
この先の遍路旅の安全を交換して、白峯寺に向かいました。



白峯寺 本堂

2022/11/02 10:58:10

白峯寺 本堂

815(弘仁6)年に弘法大師が、白峯山の山頂に如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願に堂宇を建立したそうです。
その後、860(貞観2)に円珍(智証大師)が、白峯大権現の神託を受けて千手観世音菩薩を刻み安置したのが始まりと言われています。
境内には、すべての干支の守り本尊が各お堂に祀られています。
白峯寺は国の重要文化財が多いことで知られています。



白峯寺 大師堂

2022/11/02 11:03:10

白峯寺 大師堂

現在の白峯寺がある場所には、崇徳上皇の陵墓があります。
四国で天皇家のお墓があるのはここだけで、とても珍しく、天皇家が都以外で亡くなることがそれだけ稀なことがわかります。
崇徳上皇の死後、都の天皇家では災いが相次いだことから、崇徳上皇が怨霊となって祟っているのではないかという噂が広がました。
亡くなった讃岐の国でも慰霊のための取り組みがなされ、陵墓の近くに頓証寺が建立され、供養をあいたそうです。



82番札所 根香寺

2022/11/02 12:32:45

82番札所 根香寺

82番札所根香寺も五色台にあります。
白峯寺は五色台の西側に、そして根香寺は東側に位置しています。
自衛隊の演習場付近まで、きつめな上りでした。
その後は大きな通信設備の鉄塔を過ぎる頃までダラダラした上りが続きました。
通信設備を過ぎると一気に下りますが、道幅も狭く、コーナーもきついので注意してくださいね。
根香寺では、大きなわらじが迎えてくれます。



根香寺 本堂

2022/11/02 12:45:45

根香寺 本堂

弘仁年間に弘法大師がこの地を訪れ、五大明王をまつって密教修行の地として花蔵院を創建しました。
その後、832(天長9)年に円珍(智証大師)が千手観音を刻み千手院を建立し、この2院を総称し根香寺となっと伝わっています。
平安時代末期には後白河天皇の帰依を受け繁栄しています。
その後、兵火などで衰退しましたが、1664(寛文4)年に、高松藩主の松平頼重が再興し、真言宗から天台宗に改宗しています。



根香寺 大師堂

2022/11/02 12:55:50

根香寺 大師堂

根香寺本尊の千手観音立像は桜の一木造りで国の重要文化財に指定されています。
高さ163cmの漆箔で、33年に一度開帳される秘仏だそうです。
白峯寺から根香寺までの遍路道「根香寺道」は、道沿い道標や丁石も多く残っていて、歴史的な景観をとどめています。
「根香寺道」は江戸時代前期頃まで遡ることができ、景観面や歴史的価値から、一部が国の史跡に指定されました。
根香寺周辺では紅葉が良い色で、疲れた体を癒してくれました。



瀬戸内海を望む

2022/11/02 13:33:00

瀬戸内海を望む

83番札所一宮寺へは、県道180号を1km程打ち戻り鬼無地区へ向かいました。
急な下り坂をゆっくり下って行くと、瀬戸内海を見下ろすことができました。
心地よい風も吹いていて、景色を見ながら休憩と洒落ていました。
あの島を走ったことがあるかな、とか思いながら。



沈下橋

2022/11/02 14:16:30

沈下橋

予讃線の安徳第2踏切を渡ってからは注意してください。
多くが路地を走ることになります。
道しるべもあるのですが、小さかったり消えかかったりしています。
僕は交差点毎、確認して進みましたが、それでも、何度か行き過ぎていることがありました。
香東川には沈下橋がかかっていました。
雨が続くと、沈下橋は通行止めになることもzります。



83番札所 一宮寺

2022/11/02 14:51:35

83番札所 一宮寺

沈下橋から県道12号を1km強走ると、一宮寺に到着します。
一宮寺の駐車場側にある門は西門です。
仁王門は駐車場側からだと裏手にありますので注意してください。
裏手の道は、どう見ても路地だろうって感じの道です。



一宮寺 本堂

2022/11/02 14:55:30

一宮寺 本堂

一宮寺は、大宝年間(701~704年)に奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵(ぎえん)が大宝院として創建したそうです。
709(和銅2)年に義淵の弟子の行基により、讃岐国一宮となる田村神社が創建されます。
この時に隣接する大宝院が田村神社の別当となり、名も一宮寺に改められています。
大同年間(806年~810年)には、弘法大師が聖観音菩薩像を自刻し本尊として安置しました。
堂宇は修築され、宗派も真言宗に変わったと伝わっています。



一宮寺 大師堂

2022/11/02 15:05:35

一宮寺 大師堂

一宮寺を打ち終え高松市街のホテルに向かいました。
84番札所屋島寺への遍路道は、いくつかあるようです。
僕は一宮寺から県道172号で国道11号の上天神西交差点を直進。
途中、御坊川沿いに入り琴電の三条駅へ。
更に御坊川沿いで県道155号の交差点経由でホテルへのルートを走りました。
明日は、この交差点から84番札所へと走ります。