2022年11月01日 76番札所金倉寺から79番札所天皇寺まで

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写真レポート


76番札所 金倉寺

2022/11/01 08:57:25

76番札所 金倉寺

天気予報では、午後から雨が降るようなので、行ける所まで走ろうと思い、少し早めにホテルを出発しました。
昨日のホテルは、自転車をホテル内の会議室のような場所に置かせていただきました。
県道24号で善通寺駅方向に走っていると、「遍路道←」の石の道しるべがありました。
スピードを出して走っていると、見落としてしまう可能性があるので注意してね。
その道しるべからは、路地を進みますが、カーブミラーなどに「→」マークがあったので迷うことはありませんでした。
善通寺から金蔵寺まではほぼ平坦で4km弱なので。歩き遍路の方もホットする区間かもしれませんね。



金倉寺 本堂

2022/11/01 09:01:25

金倉寺 本堂

金倉寺は奈良時代の774(宝亀5)に、この地の豪族であった和気道善(わけどうぜん)が「道善寺」として創建したと伝わっています。
和気家は弘法大師のの出身家である佐伯家の親戚だそうです。
その後、和気道善の孫の円珍(えんちん)が、唐での修行後、唐の青龍寺にならって伽藍を建造、薬師如来を本尊としました。
928(延長6)年に醍醐天皇の勅命で、地名の金倉郷にちなんで現在の「金蔵寺」の名になったとそうです。
当時は隆盛を極め、南北2里、東西1里の境内地に、僧院132を数えたと伝えられています。



金倉寺 大師堂

2022/11/01 09:09:25

金倉寺 大師堂

明治時代には「乃木将軍」の宿舎に使われてそうです。
乃木将軍は本名「乃木希典(のぎ まれすけ)」で、幕末から明治時代にかけて活躍した軍人です。
特に日露戦争での武功は教科書にも載っていたほどです。
学習院院長を務めていた際には「迪宮裕仁(みちのみやひろひと)」(のちの昭和天皇)の養育を担当したことでも知られています。



77番札所 道隆寺

2022/11/01 09:45:25

77番札所 道隆寺

道隆寺へも、平坦な遍路道が続きました。
国道11号をくぐり、田畑や八幡神社脇を遍路します。
自動車学校先を右折すると、道隆寺へ到着です。
自転車を駐車場に置いている時に、遍路用品屋さんからお声がけが。
冷たいお茶とお菓子をお接待していただきました。



道隆寺 本堂

2022/11/01 10:05:35

道隆寺 本堂

道隆寺は712(和銅5)年に、当地の領主の和気道隆が夜ごと怪しい光を放つ桑の大木に矢を射ると、矢が乳母に当たり亡くなってしまいました。
これを悲しんだ道隆が桑の木で小さな薬師如来像を彫造し、草堂に安置して供養したのが寺の始まりといわれています。
その後、道隆の子の朝祐は、唐から帰朝した弘法大師に新たに薬師如来の彫像を依頼し、その胎内に道隆作の像を納めて本尊としました。
その時に寺の名を道隆寺としたそうです。
像の中にもう一体の像があることから、腹ごもり薬師、二体薬師とも呼ばれ秘仏となっています。



道隆寺 大師堂

2022/11/01 10:10:35

道隆寺 大師堂

道隆寺では、毎年秋になると「柴燈大護摩供」が行われます。
護摩とは、弘法大師空海が伝えた真言密教の秘法で、炎と共に煩悩を焼き尽くし、神仏に願いを届ける儀式です。
柴燈護摩は護摩供を屋外で行うもので、弘法大師の孫弟子の聖宝理源大師が、山岳修行中に行ったことが始まりとされています。
炎と煙に乗せて参拝者の諸願成就を祈り、炎の上を僧侶が素足で渡るのだそうです。
眼なおし薬師さまとして眼病にご利益があると信仰されています。



78番札所 郷照寺

2022/11/01 10:48:15

78番札所 郷照寺

78番札所郷照寺へは県道33号を中心に進みます。
途中には丸亀城があるので、立ち寄るのも良いかもしれませんね。
丸亀城は日本一の高さの石垣があるお城で、現存する12天守の一つです。
宇多津駅前の交差点を過ぎると、左側には「→」の道しるべが無くなるので注意してくださいね。
歩行者は右側通行だからなのか、右側の歩道には「→」はありました。
歩道は左右両側にあるのですから、左側の歩道にもあったら良いのにと思うのは僕だけなんでしょうか。



郷照寺 本堂

2022/11/01 10:49:15

郷照寺 本堂

725(神亀2)年に行基菩薩によって「仏光山道場寺」として開創したと伝わっています。
後に、815(弘仁6)年に弘法大使が42歳のころ、この地を訪れ、自作のご尊像を刻み厄除のご誓願をされています。
このことから「厄除うたづ大師」として信仰を集めています。
1288(正応元)年に時宗の開祖・一遍上人によって浄土易行の法門の伝統が加わり、真言・念仏の2教の法門が伝わったそうです。



郷照寺 大師堂

2022/11/01 10:49:15

郷照寺 大師堂

天正の兵火(1576年~1585年)により堂塔、伽藍を焼失してしまいます。
江戸時代に入り、高松藩主・松平頼重により再興されました。
その際、宗旨を真言宗とともに一遍上人を偲んで時宗も奉持することにし、寺名も郷照寺と改めました。
真言宗と時宗の両宗にわたる寺としては四国札所唯一の寺です。
境内には池泉回遊式庭園があり、春にはツツジ、サツキが咲き庭園を彩ります。



79番札所 天皇寺

2022/11/01 12:17:10

79番札所 天皇寺

郷照寺を打ち終えた頃から、今まで我慢してくれた空からポツリポツリと。
天皇寺へは、アーケードのある商店街を突っ切りますが、多くはシャッターが下りていました。
アーケードで雨宿りをして、天皇寺は明日にしてホテルに向かおうかと思ったりしていました。
天王寺は仁王門はありませんが、その代わりに鳥居があるんですよ。
白峰宮の鳥居なんですが、パット見ると何で寺に鳥居がと思ってしまいます。
明治時代までの「神仏習合」のなごりなんでしょうか。



天皇寺 本堂

2022/11/01 12:30:20

天皇寺 本堂

天皇寺は742(天平17)年に、行基菩薩によって堂宇が建てらました。
天皇寺がある八十場には、「八十場の霊水」と呼ばれるる伝説があります。
弘仁年間に弘法大師が八十場の泉を訪れた際、この山を鎮守する権現が天童となって現れました。
永くこの山の仏法を護るようにと誓って、持っていた宝珠を弘法大師に預けました。
弘法大師は宝珠を山嶺に埋め、弥蘇場の霊域にあった霊木で本尊とする十一面観世音菩薩を彫造しました。
そして摩尼珠院を創建したのが、天皇寺の始まりと伝わっています。



天皇寺 大師堂

2022/11/01 12:37:20

天皇寺 大師堂

天皇寺の敷地に、白峰寺の参道が貫いているんです。
天皇寺の本堂や大師堂をお参りするのに、白峰寺の参道を突っ切るって感じでした。
天皇寺を打っている時に、雨がかなり強くなってしまい、納経所脇で椅子に座って90分以上雨宿りをしていました。
80番札所国分寺まで行きたかったんですが、雨には勝てそうにもありません。
坂出駅方向に戻り、早めにホテルに入りました。