2022年10月31日 71番札所弥谷寺から75番札所善通寺まで

マーカーリスト

写真レポート


観音寺駅

2022/10/31 09:26:25

観音寺駅

再び四国に戻ってきました。
前日の飛行機で高松に入り、朝の特急で観音寺駅へ。
観音寺駅前で自転車を組み立てて出発しました。
JR四国の主要駅にある、自転車組み立て場所はありませんでした。



70番札所 本山寺

2022/10/31 09:59:55

70番札所 本山寺

前回の自転車お遍路のルートから外れた、70番札所本山寺に向かいました。
今回のお遍路の安全を仁王門の前でお願いをしてから、71番札所弥谷寺へと進みました。



長池

2022/10/31 10:39:00

長池

交通量の多い国道11号を北上します。
途中、道路工事が何か所かで行われていていました。
誘導員の方が申し訳なさそうに案内してくださいました。
長池の先に道しるべがあったので、左折して国道11号を外れました。



県道221号

2022/10/31 11:03:00

県道221号

国道の脇道や県道221号を走っていました。
道しるべや「弥谷寺←」が多くあったので、迷うことはありませんでした。



八丁目大師堂

2022/10/31 11:20:55

八丁目大師堂

弥谷寺の麓にある八丁目大師堂で、この先の上り坂に備えて休憩しました。
八丁目大師堂から弥谷寺へは、かなりの勾配の上り坂でした。
距離は短いですが、何度も足をとめていました。



昇運の石段

2022/10/31 11:41:35

昇運の石段

弥谷寺の入口近くに道の駅や弥谷寺の駐車場がありました。
昇運の石段の所にも駐車するスペースがありました。
僕は「この先有料道路」の看板を見て、Uターンして寺の駐車場に自転車を置いてきました。
すぐ近くまでいったのだから、自転車と共に写真を撮りたかったな。



71番札所 弥谷寺

2022/10/31 11:44:35

71番札所 弥谷寺

弥谷寺は標高382mの弥谷山の中腹にあり、540段の急な石段を上らないといけないんです。
弥谷山は、山全体に仏が住んでいる霊山として古くから信仰を集め、多くの修験者が修行したそうです。
天平年間(729~749年)に、聖武天皇の勅願により行基が開山し、弘法大師も修行しています。
室町時代には、東院、西院、中尊院と6坊を備える大寺となりますが、戦国時代に兵火で焼失し、荒廃してしまいます。
江戸時代に丸亀藩主京極氏の帰依により再興しています。



金剛拳菩薩

2022/10/31 11:48:35

金剛拳菩薩

手水舎の隣で金剛拳菩薩が出迎えてくれました。
「よく上ってきたな。まだ先は長いぞ」と言われてるようでした。



弥谷寺 本堂

2022/10/31 11:58:40

弥谷寺 本堂

やっとが弥谷寺が見えたと思ったら大師堂でした。
本堂へは大師堂からまだ石段を160段上る必要がありました。
本堂への石段の途中には山の岩肌に彫られた仏像も残っています。



72番札所 曼荼羅寺

2022/10/31 12:38:30

72番札所 曼荼羅寺

曼荼羅寺の周辺にはため池があり、のどかな場所にありました。
曼陀羅寺の創建は四国霊場で最も古い596(推古4)年と言われています。
弘法大師の先祖の讃岐国の領主・佐伯氏の氏寺として創建したのが始まりで、創建当時は世坂寺と呼ばれていたそうです。



曼荼羅寺 本堂

2022/10/31 13:00:05

曼荼羅寺 本堂

807(大同2)年に唐から帰国した弘法大師が、亡き母の玉依御前の冥福を祈るため大日如来をお祀りしました。
そして、唐から持ち帰った胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅を安置し、曼荼羅寺と改称したそうです。
本堂の堂内には370枚の格天井があり、内陣には宇宙を意味する「二十八宿」の星座が描かれているそうです。
毎年、彼岸の入りの日に、本尊の金剛界大日如来が御開帳されます。



曼荼羅寺 大師堂

2022/10/31 13:08:30

曼荼羅寺 大師堂

平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍した歌人の西行法師ゆかりのお寺だそうです。
曼荼羅寺の近くに庵を建てて、寺をしばしば訪れたといたそうです。
旅人が桜の木に忘れた笠を歌に詠んだ「笠掛桜」の歌碑が残されています。
かつて境内には、弘法大師お手植えの松「不老松」がありました。
不老松は、807(大同2)年に弘法大師が寺号を曼荼羅寺に改称したことを記念して植えた松だそうで、樹齢は1200年以上だったそうです。
残念なことに、2002(平成14)年に松喰い虫の影響で枯れてしまったそうです。



73番札所 出釈迦寺

2022/10/31 13:27:50

73番札所 出釈迦寺

72番札所から73番札所出釈迦寺へは600m程しか離れていません。
でも、全行程上り坂で、一番楽なギアでゆっくり走っていました。
ゆっくりでも、かなり息が上がりましたが。



出釈迦寺 本堂

2022/10/31 13:30:50

出釈迦寺 本堂

弘法大師がが7歳のときに「倭斬濃山」に登ったそうです。
そして、「仏門に入り多くの人を救いたい。願いが叶うなら釈迦如来様、姿を現して欲しい。叶わぬのなら私の命を仏に捧げます。」
と願って、山の断崖絶壁から飛び降りたそうです。
すると、釈迦如来と天女が舞い降りて、弘法大師を抱きとめて命を救われ、願いが成就したと伝説が残っています。
その後弘法大師は四国を巡錫中に倭斬濃山に再び上り、山上で釈迦如来像を刻んで堂宇を建立しました。
そして、釈迦如来が現われた山を我拝師山と名付け、お寺を出釈迦寺としたと伝わっています。



出釈迦寺 大師堂

2022/10/31 13:40:55

出釈迦寺 大師堂

出釈迦寺は我拝師山の山上で諸願成就の祈りの場として存続します。
江戸時代なると我拝師山の山麓に堂宇(今の出釈迦寺)を建立しました。
山上のお寺は捨身ヶ嶽禅定として弘法大師信仰の重要な場所になったそうです。
山麓に出釈迦寺を建立しても札所は山上の捨身ヶ嶽禅定のままでしたが、現在の出釈迦寺が札所になったのは大正時代のことだそうです。
空海修行の場であり元々の出釈迦寺があった場所は、73番奥の院「捨身ヶ嶽禅定」になっています。



74番札所 甲山寺

2022/10/31 14:11:35

74番札所 甲山寺

74番札所甲山寺へは遍路してきた道を曼陀羅寺方向に打ち戻って向かいます。
細い道も多く、注意してゆっくりと走っていました。
のどかな遍路道で、出釈迦寺からは2km強で、下り基調でした。



甲山寺 本堂

2022/10/31 14:15:35

甲山寺 本堂

弘法大師の出生地は、現在の香川県善通寺市で、甲山寺がある地域は幼少期によく遊んだ場所だといわれています。
壮年期の弘法大師が曼荼羅寺と善通寺の間に霊地を探していたそうです。
すると、岩窟から現れた翁に「ここに寺を建てよ」と告げられ、毘沙門天像を刻んで岩窟へ安置したことに始まると伝えられています。
この老人が毘沙門天の化身と悟った空海は、この岩窟に毘沙門天を祀ったされています。
境内の裏山が「甲山」と名付けられたのも、山の形が毘沙門天の兜の形に似ていたことからだといわれています。



甲山寺 大師堂

2022/10/31 14:20:40

甲山寺 大師堂

大師堂の隣には間口2.5m、奥行12mの岩窟があり、空海自刻と伝わる毘沙門天が祀られています。
大師堂へ続く石段の隣に祀られた子安地蔵は、子宝祈願の地蔵尊です。
子宝を願って地蔵の前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けを持ってくるのが習わしだそうです。



75番札所 善通寺

2022/10/31 14:46:00

75番札所 善通寺

甲山寺から75番善通寺までは、1.5km程で平坦で楽に走ることができます。
善通寺は弘法大師の生誕の地にあるお寺です。
和歌山の高野山、京都の東寺と並ぶ弘法大師の三大霊場の一つです。



善通寺 五重塔

2022/10/31 14:50:00

善通寺 五重塔

道路を隔てて西院と東院に分かれている広大な規模を持つお寺です。
本堂がある東院へと向かいます。
伽藍とも呼ばれる東院では、巨大な五重塔が迎えてくれました。
高さ43mある五重塔は、善通寺のシンボルです。



善通寺 金堂(本堂)

2022/10/31 14:41:00

善通寺 金堂(本堂)

東院(伽藍)は、唐より帰朝した弘法大師が807(大同2)年に建立したと伝える寺域です。
本堂である金堂は、弘法大師が密教を学んだ、唐の長安・青龍寺の伽藍を模して建立されたと伝えられています。
1558(永禄元)年の兵火によって、創建当初の伽藍諸堂は全焼してしまいました。
その後、讃岐の大名の援助により再建が進みんだそうです。
現在の金堂は、江戸時代中期の1699(元禄12)年に創建されました。
入母屋造で外観は2階建てに見えますが、実は内部は1層の建物です。



善通寺 御影堂(大師堂)

2022/10/31 15:10:05

善通寺 御影堂(大師堂)

善通寺では大師堂とは言わず、御影堂(みえどう)と呼ばれています。
御影堂は西院(誕生院)にあります。
西院は弘法大師の出身の佐伯家の邸宅があり、弘法大師のご両親も住んでおられたそうです。
鎌倉時代になり、その跡地に御影堂を中心とした「誕生院」が整備されました。
御影堂奥殿のある場所は、お母さんの部屋のあった場所と伝わっています。
創建時は善通寺とは別のお寺だったそうです。



善通寺 南大門

2022/10/31 15:26:05

善通寺 南大門

南大門は、東院(伽藍)の南側にある善通寺の正門です。
現在の門は日露戦争戦勝を記念して、1908(明治41)に再建されたものです。
高麗門と呼ばれる形式で造られており、高さは9.7mあります。
南大門からは五重塔と自転車を写すことができました。



善通寺 赤門

2022/10/31 15:26:50

善通寺 赤門

東門が本来の名称ですが、その朱色の塗装から「赤門」と呼ばれています。
この門から続く赤門筋商店街は、かつては丸亀・多度津方面からの参拝者でにぎわいました。
今日の自転車お遍路は、善通寺で打ち止めで、近くのホテルに向かいました。