2022年10月18日 60番札所雲辺寺から69番札所観音寺まで

マーカーリスト

写真レポート


境目トンネル

2022/10/18 10:10:42

境目トンネル

昨日、三角寺を打てたおかげで、伊予三島の宿をゆっくり出発することができました。
今日の天気は終日雲予報ですが、雨の心配は低そうです。
昨日、遍路ルートから離れた国道192号の椿堂付近まで戻ります。
ここから先は境目トンネルまでダラダラした上り坂が続きました。



曼陀トンネル

2022/10/18 10:55:26

曼陀トンネル

国道192郷から県道8号へと向かいます。
参考までですが、歩き遍路の方は注意してくださいね。
三角寺から雲辺寺までのルートには宿がすごく少なく、四国遍路ルートの中で、最も宿の確保が難しいとも言われています。
雲辺寺の通夜堂に泊めさせて頂けるようですが、午後4時までに着くように言われるそうです。



五郷ダム

2022/10/18 11:29:02

五郷ダム

曼陀トンネルを越えると讃岐の国に入ります。
ノンビリ坂を下っていくと五郷ダムがありました。
東屋とかがあれば良いのですが、しっかりと休む場所はありませんでした。
ダムカードも配布していて、親切に対応していただきました。



雲辺寺ロープウェイ 山麓駅

2022/10/18 12:11:52

雲辺寺ロープウェイ 山麓駅

雲辺寺ロープウェイは20分間隔で運転されています。
全長約2,600m、高低差約660mあり、山麓駅から山頂駅を約7分で結んでいます。
四国ケーブルが運営していて、21番札所への大龍寺ロープウェイや85番札所八栗ケーブルも同じ会社の運営です。
自転車も載せることができ、無料だそうです。



66番札所 雲辺寺

2022/10/18 12:33:52

66番札所 雲辺寺

66番札所雲辺寺は香川県と徳島県の県境の標高約910mの雲辺寺山頂に位置しています。
四国霊場中最高峰に位置することから別名「四国高野」と呼ばれています。
お寺があるのは徳島県ですが、札所の整理は讃岐の国だそうです。
山の中にあるお寺ですが、すごく立派なお寺でした。
ロープウェイ山頂駅から本堂に向かう遍路道には五百羅漢もありました。



雲辺寺 本堂

2022/10/18 12:46:52

雲辺寺 本堂

789(延暦8)年に、16歳の弘法大師が寺建立の材を求めてこの山に入り、一夜にして堂宇を建立したと伝えられています。
その後、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が再び留錫されて、千手観音菩薩を刻んで本尊を安置されたそうです。
本尊は千手観世音菩薩坐像、脇仏は毘沙門天立像・不動明王立像の3体ですべてが国の重要文化財に指定され、完全秘仏だそうです。
鎌倉時代には七堂伽藍、12坊、末寺8寺を持つ寺院として栄え、藩政時代には阿波徳島藩主・峰須賀家の祈願所になりました。



雲辺寺 大師堂

2022/10/18 12:56:52

雲辺寺 大師堂

四国坊とも呼ばれ、四国各地から僧侶たちが参じて、学問や修行に励む道場となりました。
現在はロープウエイや車で来ることができますが、かつては「遍路ころがし」といわれた難所でした。
65番の三角寺から雲辺寺に向かう遍路道の一部が、国の史跡に指定されています。
また景観も素晴らしく、初夏のあじさい、秋の紅葉、冬の雪景色などの季節を楽しませてくれます。



天空のブランコ

2022/10/18 13:09:27

天空のブランコ

天空ブランコで有名な山頂公園にも寄ってきました。
家族やカップルで来られるのは良いと思います。
60歳オーバーのジジイが一人で空中ブランコに乗る勇気はありませんでした。
冬はスキー場も開設されるようです。
雲辺寺は見所が多いので、時間を多く取ったら良いと思います。



24系客車

2022/10/18 13:42:12

24系客車

ロープウェイで下山し、24系の客車を見てきました。
実際に寝台特急で瀬戸や那覇で使われていた車両で、懐かしく見ていました。
今後「四国遍路の駅 オハネフの宿」としてオープンするそうです。
お遍路やスキーで利用するのも良いですね。



雲辺寺ヶ原史跡広場

2022/10/18 13:48:52

雲辺寺ヶ原史跡広場

雲辺寺ヶ原は、地殻変動により岩礫が堆積してできた広い台地です。
1901(明治34)年に陸軍の用地になり、山砲の射撃場として使われたそうです。
昭和初期頃に建設された監的所が残っています。



萩原寺

2022/10/18 13:59:17

萩原寺

萩原寺は、807(大同2)に弘法大師によって開基されたと伝えられています。
平安時代には仏法興隆の一大拠点となりました。
江戸時代には末寺280余ヶ寺を統轄した本寺として、輝かしい歴史を持っています。
9月中旬から下旬になると、境内のいたるところにの萩の花が咲き乱れ、多くの参拝客で賑わうそうです。



67番札所 大興寺

2022/10/18 14:39:24

67番札所 大興寺

大興寺の周囲には、ため池が多く点在していました。
鎌倉時代の仏師運慶の作と伝わる金剛力士像が出迎えてくれます。
石段途中には弘法大師が種を蒔いたと伝えられている、樹齢約1200年の榧ノ木がありました。
残念なことに本堂が改修工事中で、仮の拝殿がありました。



大興寺 大師堂

2022/10/18 15:13:47

大興寺 大師堂

大興寺は742(天平14)年に、熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として始まったと伝えられています。
その後、822(弘仁13)年に嵯峨天皇の勅願によって空海が再興されたそうです。
現在は真言宗の寺院ですが、昔は天台宗の僧坊もあり、二宗が兼学したという珍しい歴史を持っています。
山号の小松尾山から、地元の方からは「小松尾寺」として親しまれています。



68番札所 神恵院 69番札所 観音寺

2022/10/18 15:58:23

68番札所 神恵院 69番札所 観音寺

時間に余裕があったので、68番札所神恵院と69番札所観音寺も打ってきました。
68番札所と69番札所は同じ境内にあります。
仁王門は一つですが、本堂や大師堂はそれぞれあります。
仁王門に近い方が69番観音寺で、68番神恵院は左側にありました。
それも階段を上ってすぐの所にあるのが、69番観音寺の大師堂です。



神恵院 本堂

2022/10/18 15:58:23

神恵院 本堂

まずは、どっちが何番札所かを確認してからお参りしました。
68番神恵院の本堂は、「これが本堂なの?」と思うような、コンクリートの打ちっぱなしの建物の中にありました。
この本堂は、2002(平成14)年に新築されたものだそうです。
それ以前は現在の薬師堂が本堂として使われていたそうです。



神恵院 大師堂

2022/10/18 16:34:03

神恵院 大師堂

神恵院は、703(大宝3)年に法相宗の日証上人がこの地で修行をしていたところ、海上に琴を弾く老人が乗る舟を見つけたそうです。
この老人が八幡大明神だと知った上人は、その琴と舟を山に引き上げて祀り「琴弾八幡宮」と名付けたのが始まりと伝わっています。
その後、807(大同2)年に、弘法大師が阿弥陀如来を描き本尊として安置して、「神恵院」として札所に定めたそうです。
江戸時代までは琴弾八幡宮が札所とされていました。
明治時代の神仏分離により「琴弾神社」と「神恵院」に分離されることになりました。
「神恵院」は山の麓にあった69番札所「観音寺」の境内地に移され、1境内2札所の珍しい形態となったそうです。



観音寺 本堂

2022/10/18 15:58:23

観音寺 本堂

観音寺も68番札所「神恵院」と同様に「琴弾八幡宮」創建の歴史と関わりが深いそうです。
観音寺は、807(大同2)年に、弘法大師がが第7世住職として入山しました。
その際に奈良の興福寺を模して、聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、札所に定めたという歴史があるそうです。
平安時代初期には、桓武天皇はじめ3代の天皇の勅願所になり繁栄したそうです。
現存する本堂は、1525(大永5)年に源氏信の寄進を受け建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。



観音寺 大師堂

2022/10/18 16:34:03

観音寺 大師堂

ふと思ったのが納経は、どの時点でするのか。
68番札所→納経所→69番札所→納経所なのか?
納経所の中をチラ見すると、一か所しかなさそうです。
他のお遍路さんを見ていると、68番札所→69番札所→納経所で回られていたので、僕も同じように。
今日は観音寺市内に泊まります。