2022年10月15日 62番札所から64番札所を打ってきました

マーカーリスト

写真レポート


伊予小松駅

2022/10/15 10:27:06

伊予小松駅

JR四国でも土曜休日だけでですが、自転車をそのまま乗せることもできるそうです。
各駅停車のみで、指定した駅だけみたいですが。
翌日が土曜日だったので、今治駅で確認しました。
残念ながら伊予小松駅は該当駅ではないそうです。
今日は伊予小松駅から伊予西条駅まで走ります。



62番札所 宝寿寺

2022/10/15 10:29:01

62番札所 宝寿寺

62番札所宝寿寺は、伊予小松駅から1分もかからない所にあります。
宝寿寺は2016年頃に四国八十八ヶ所霊場会を脱会していたそうです。
昼休み時間帯は納経受付をしていなかったり 、納経金額が高かったりとお遍路さんを悩ましていたそうです。
この対応措置として、第61番札所香園寺に第62番礼拝所を設け、宝寿寺代わりに礼拝所を 参拝するように促していました。
2019年12月1日より四国八十八ヶ所霊場会に再加入し、その悩みは解消しています。



宝寿寺 本堂

2022/10/15 10:35:16

宝寿寺 本堂

宝寿寺は、天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願で伊予一の宮の別当として創建されたと伝えられています。
大同年間(806? 810年)に、弘法大師が逗留し、光明皇后を模した十一面観世音菩薩像を刻んで本尊(秘仏)としています。
国司・越智氏の夫人が難産の際、空海が祈祷して無事に出産し、創建当初の金剛宝寺から宝寿寺に改めてられました。
安産祈願の観音札所として信仰を集めています。



宝寿寺 大師堂

2022/10/15 10:49:16

宝寿寺 大師堂

栄えていた宝寿寺は、1585(天正13)年に豊臣秀吉による四国征伐の戦で荒廃してしまいます。
1636(寛永13)年に今の場所で再建されました。
予讃線を挟んで北側にある一之宮神社は、神仏習合時代に宝寿寺が別当とした寺だそうです。
明治初年の神仏分離で分かれ、大正10年の予讃線開通で宝寿寺が線路の南側に移ったそうです。



63番札所 吉祥寺

2022/10/15 10:58:22

63番札所 吉祥寺

63番札所吉祥寺は宝寿寺から1.5km程の国道11号線から入ってすぐの所にありました。
予讃線の伊予氷見駅からは徒歩数分くらいでしょうか。
山門脇にサイクルスタンドがありました。



吉祥寺 本堂

2022/10/15 11:08:42

吉祥寺 本堂

吉祥寺は、弘仁年間(810~824年)に弘法大師がこの地を訪れ、1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを悟ります。
そして、この霊木で本尊の毘沙聞天像を彫造し、脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置したのが始まりと伝わっています。
かつては21坊を有する大寺でしたが、ここでも間豊臣秀吉による四国征伐の乱に巻き込まれ全てを焼失してしまいます。
後の1659(万治2)年に、末寺の檜木寺を合併して現在の場所に再建されました。



吉祥寺 大師堂

2022/10/15 11:18:42

吉祥寺 大師堂

本尊は毘沙聞天で、四国霊場では唯一だそうです。
本来は「毘沙門天」と書きますが、吉祥寺では「毘沙聞天」としています。
「毘沙門天」は、持国天・増長天・広目天と共に「四天王」の一尊に数えられる武神です。
その際には「よく聞く者」の意味の「多聞天」と称されることから、「聞」の字をあてているそうです。
本尊の毘沙聞天坐像は60年に一度開帳され、次回は2038年の予定です。



石鎚神社

2022/10/15 11:41:27

石鎚神社

ゆっくり走っていても、十分余る時間があったので、石鎚神社にも行ってきました。
石鎚神社は、西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社です。
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、日本霊異記には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とあるそうです。



石鎚神社 口之宮 本社 本殿

2022/10/15 11:57:02

石鎚神社 口之宮 本社 本殿

石鎚神社は石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)
をお祀り申し上げています。諸願成就の神様で知られますが、特に家内安全・厄除開運・当病平癒の神として信仰を受けています。
標高1982mの石鎚山の山頂には、奥宮頂上社が鎮座しています。
山頂への参道には「鎖の行場」で名高い試しの鎖、一之鎖、二之鎖、三之鎖がかけられています。



64番札所 前神寺

2022/10/15 12:30:12

64番札所 前神寺

64番札所神前寺は63番札所から3.5km程、石鎚神社のすぐ隣にあります。
石鎚山の7合目標高1400m、現在の石鎚神社中宮成就社のある場所がもとの寺域だそうです。
石鎚山の別当寺として石鎚信仰の根本道場でした。
明治の神仏分離、廃仏毀釈で廃寺となり、のちに現在地に再興されたものです。



前神寺 本堂

2022/10/15 12:41:42

前神寺 本堂

天武天皇の時代に役小角が石鎚山で修行をしていると、釈迦如来と阿弥陀如来が人々を苦しみから救うために石蔵王権現となって現れました。
悟りを得た小角は尊像を彫り安置、祀ったのが本寺の始まりとされています。
前神寺は歴代天皇の信仰が厚く、仏像や経巻がしばしば奉納されました。
江戸時代には西条藩主の松平家からも信仰が篤く、栄えてきたお寺です。



前神寺 大師堂

2022/10/15 12:52:42

前神寺 大師堂

前神寺が建つ場所は、江戸時代には塔頭・医王院があった場所だそうです。
明治時代の廃仏毀釈で、1875(明治8)年に廃寺となりました。
その後、1879(明治12)年に檀家などにより復興願いが出され、前上寺として復興しています。
前神寺は石鎚山信仰とともに栄え、現在の信徒は30万人を超えるといわれています。
石鎚山の夏の大祭「お山開き」が行われる毎年7月には、大勢の信者が集まるそうです。



伊曽の橋

2022/10/15 13:28:28

伊曽の橋

加茂川に架かる全長207mの自転車歩行者専用の橋で、メロディー橋の愛称が付けられています。
欄干に鍵盤が取り付けられ、たたいていくとメロディーが流れます。
西条市はお祭りで賑やかでした。
山車や神輿も出ていました。



十河信二記念館

2022/10/15 13:55:28

十河信二記念館

ホテルに行くのには早いので、伊予西条駅前にある十河信二記念館に寄ってきました。
十河信二は、西条市出身で国鉄総裁を務め新幹線建設尽力された方です。
新幹線開業までの資料が展示されていて、無料で入館することができます。