2022年10月03日 49番札所から54番札所まで

マーカーリスト

写真レポート


49番札所 浄土寺

2022/10/03 07:44:52

49番札所 浄土寺

今日は松山市郊外から今治駅まで走ります。
今回の自転車お遍路は、今日が最終日です。
49番札所浄土寺は、48番札所西林寺から3km程の距離でした。
ほとんど平坦部で、歩き遍路の方もホッとするコースかも。
久米駅や僕が泊まったホテルからも数分で着くことができました。



浄土寺

2022/10/03 07:44:52

浄土寺

天平勝宝年間(749年?757年)、孝謙天皇の勅願寺として、恵明上人が行基彫造の釈迦如来像を本尊として祀り、開創しました。
後に荒廃した寺を弘法大師がが再興したと伝わっています。
浄土寺は、平安時代中期に念仏を広めた空也(くうや)ゆかりの地としても有名だそうです。
現在の本堂は、文明14年(1482年)に伊予の領主河野通宣が再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
本堂にある厨子(ずし)には、室町時代以降のお遍路さんの落書きが残されているそうです。



50番札所 繁多寺

2022/10/03 08:27:12

50番札所 繁多寺

50番札所の繁多寺も、49番札所浄土寺から2km弱の、住宅地の外れの小高い丘にありました。
江戸時代に徳川家の帰依を受け、四代将軍徳川家綱の念持仏としていた歓喜天が祀られています。
祈れば富貴を与え、厄除け、夫婦和合、商売繁盛などのご利益があると言われています。
境内周辺は景観樹林保護地区に指定されていて、桜や紅葉のシーズンは見事だそうです。



繁多寺 本堂

2022/10/03 08:40:52

繁多寺 本堂

天平勝宝年間(749~757年)に孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を彫り安置し、光明寺と名付けられました。
弘仁年間(810~824年)、弘法大師が訪れ、滞在された際に東山・繁多寺と改名し、霊場とされました。
その後、衰退しますが、伊予の国司・源頼義や僧らの援助で再興しました。
1279(弘安2)年に、後宇多天皇の勅命で、聞月上人が蒙古軍の撃退の祈祷を行なっています。
時宗の開祖の一遍上人ゆかりの寺としても知られています。



51番札所 石手寺

2022/10/03 09:07:45

51番札所 石手寺

50番札所から51番石手寺へは3km弱で、この辺りは愛媛遍路のボーナスステージと言ったところでしょうか。
石手寺は松山市の道後温泉から、ほど近い場所にあります。
石手寺の参道はお土産屋さんもあり、コロナ前は多くに人で賑わっていた雰囲気がありました。



石手寺 本堂

2022/10/03 09:25:15

石手寺 本堂

728(神亀)5年に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が二十五菩薩の降臨する夢を見たそうです。
この地が霊地であると悟り、熊野十二社権現を祀り、鎮護国家の道場を建立し聖武天皇の勅願所となりました。
729(天平元)年に行基が薬師如来刻んで本尊として安置して開基し、寺名は「安養寺」とされたと伝わっています。



石手寺 大師堂

2022/10/03 09:30:45

石手寺 大師堂

大師堂は、夏目漱石や正岡子規など多くの名士が落書きを残し、「落書き堂」とも言われています。
寺宝が多い寺としても知られ、1318(文保2)年築の仁王門は国宝に指定されています。。
境内ではほかに、鎌倉末期のものとされる本堂と三重塔や銅鐘等が国の重要文化財に指定されています。
建長3年(1251年)の銘が刻まれた銅鐘は、愛媛県最古の鐘だそうです。
初詣、厄除詣の参詣者数は愛媛県内随一で、普段も観光客の姿が多いお寺です。



入山田池

2022/10/03 11:11:45

入山田池

工事中の道後温泉本館脇を通り、道後温泉商店街は自転車を押して行きます。
温泉街周辺は、遍路道→の案内が無いので注意してくださいね。
温泉街から県道20号に出て、山田バス停先に遍路道←があったので左折し進んでいきます。
国道196号バイパスやJR予讃線を過ぎ、そろそろ休憩をと考えていたら入山田池がありました。



52番札所 太山寺

2022/10/03 11:21:55

52番札所 太山寺

一の門をくぐって、太山寺の仁王門に到着しました。
金剛力士像を安置した仁王門は国の重要文化財にしていされています。
仁王門脇には太山寺バス停と、バスの転回場所を兼ねた駐車場がありました。
太山寺までは、もう少し上り坂を進む必要があります。



太山寺 本堂

2022/10/03 11:23:35

太山寺 本堂

本堂は用明2年(586年)に九州豊後国の真野長者という大富豪が建立したそうです。
真野長者は豊後国から木組みした木材を運び、一夜にして堂宇を建立したといわれています。
現在の本堂は鎌倉時代に再建されたそうで、真言密教における最大規模を誇る雄大な建築として国宝に指定されています。



太山寺 大師堂

2022/10/03 12:10:50

太山寺 大師堂

太山寺は585(用明2)年頃に創建されされたそうです。
739(天平11)年に、聖武天皇の勅願をうけて、行基が十一面観音像を彫って本尊にしたと伝えています。
奈良時代には、七堂伽藍と66坊を数える繁栄をみせたと伝えられています。
弘法大師は晩年となる天長年間(824年?834年)に訪れ、護摩供の修法をして、法相宗から真言宗に改宗しています。
後冷泉天皇、後三条天皇、堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇、近衛天皇と6代にわたる天皇が、十一面観音像を奉納しているそうです。



53番札所 円明寺

2022/10/03 12:23:35

53番札所 円明寺

円明寺は和気の住宅街にある比較的小さなお寺で、地域の方からは「和気の円明さん」と呼ばれて親しまれています。
749(天平勝宝元)年に聖武天皇の勅願で、行基が本尊の阿弥陀如来像を彫られ安置、七堂伽藍を備えた大寺を建立したと伝えられています。
現在のお寺の位置よりも海岸に近い場所で開創されたそうで、元々の山号「海岸山」は立地に由来しているそうです。
鎌倉時代に度重なる兵火で衰退していきます。
元和年間に豪族や須賀重久によって現在地に移され、1636(寛永13)年に仁和寺の末寺として再興しています。



円明寺 本堂

2022/10/03 12:23:55

円明寺 本堂

大師堂の脇にはマリア像らしきものが浮き彫りにされたキリシタン灯籠があります。
禁教時代に隠れキリシタンが信仰したものだと言われています。
大正時代にアメリカ人巡礼者タール博士)によって銅製の納め札が発見されています。
その納札には江戸代初期、1650(慶安3)年の銘があり、「遍路」の文字が記されている最古の納札だそうです。



瀬戸内海

2022/10/03 13:09:20

瀬戸内海

県道347号に入ると、瀬戸内海と予讃線に沿って走ります。
中島や睦月島を見ることができました。



北条港

2022/10/03 13:45:05

北条港

安居島に向かう船や、鹿島への渡船も発着している港です。
休日には、防波堤で釣りを楽しむ人が多いそうです。



鎌大師

2022/10/03 14:19:05

鎌大師

遍路道は海岸線を離れ、鴻の坂峠へと向かう道に進みます。
弘法大師が行脚の途中、この地に悪疫が流行していることを哀れみました。
そこで弘法大師は村人に鎌で刻んだ大師像を安置したところ、無事平癒したそうです。
村人は、その大師像を本尊としてこの地に堂を建て、「鎌大師」と呼んで深く信仰されてきたと伝えられています。
ここから先は北条育成園までは劇坂でした。
僕は、当然押して上っていましたが。



鴻の坂峠

2022/10/03 14:42:45

鴻の坂峠

劇坂を押して上った北条保育園から少し下った所に、休憩所がありました。
高台からの見晴らしは良く、瀬戸内海を見下ろすことができます。
トイレもあったので、少しノンビリさせてもらいました。



遍照院

2022/10/03 15:08:31

遍照院

愛媛県で厄除けで有名な今治市菊間町の遍照院で、厄除大師とも呼ばれています。
厄払いに訪れる参拝客が多いようですが、コロナ渦での現在は厄除け祈祷は中止されていました。
コロナ前では、節分に行なわれる「厄除け大祭」では、県内外から厄年を迎えた大勢の人が訪れたそうです。
早く復活するといいですね。



伊予亀岡駅

2022/10/03 15:37:11

伊予亀岡駅

遍路道沿いにあったので、休憩を兼ねて寄ってきました。
伊予亀岡駅は、JR四国の予讃線の駅です。
駅舎は無く、休憩する場所さえありませんでした。



54番札所 延命寺

2022/10/03 16:17:01

54番札所 延命寺

計画では無理だと思っていた54番札所延命寺を打つことができました。
交通量の多い県道38号線を外れ、桜ヶ丘団地前バス停を左折し、路地をゆっくり進んで行きました。
住宅街を走っていたら、一気に田園風景になったという感じです。
総欅造りの山門はもとは今治城の城門だったといい、天明年間(1781年?1789年)の築と伝えられています。



延命寺 本堂

2022/10/03 16:17:01

延命寺 本堂

延命寺は、720(養老4)年に聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝えられていて、かつては北側の近江山の山頂にあったそうです。
弘仁年間(810年?824年)に、嵯峨天皇の勅願で弘法大師が堂宇を再興、不動院圓明寺として祈願所にしています。
開創後は、山頂の本堂を中心に、谷々に100坊を有する信仰と学問の中心のお寺として発展します。、しかし、江戸時代までにたびたびの戦火・火災被害に遭い、享保12年(1727)に現在地に移転しています。
御本尊の「不動明王」は火災を免れており、そのことから「火伏せ不動尊」と呼ばれています。
明治維新後、お隣の第53番札所円明寺と同じ名前だったため、寺の名前も江戸時代からの俗称の延命寺に改称されました。



延命寺 大師堂

2022/10/03 16:17:01

延命寺 大師堂

延命寺から今治駅までは、遍路の案内がしっかりしていたので迷うことなく今治駅に着くことができました。
今回の自転車遍路は今治駅で終了です。
今治駅で輪行の準備が終わった時は、既に暗くなってしまいました。
今回は5月に走ろうとして、連日雨予報で挫折したコースを走ってきました。