2022年10月02日 44番札所と46番札所から48番札所へ

マーカーリスト

写真レポート


杖立地蔵尊

2022/10/02 08:19:39

杖立地蔵尊

昨晩泊まった宿の前に地蔵尊がありました。
昔、この地を苦労して歩いていた足の不自由なお遍路さんが、このお地蔵さんに足が良くなるように祈願したそうです。
すると、足が回復して、無事に結願されたそうです。
お礼参りに、再度この地を訪れて、使っていた杖を奉納したことから、杖立の由来だと伝わっています。



峠御堂トンネル

2022/10/02 09:07:39

峠御堂トンネル

県道12号は県道153号の交差点から、キツ目の上り坂でした。
その上り坂は、峠御堂トンネルの入口まで続きました。
トンネルの出口には遍路小屋があったので、息を整えていました。
このコースは、サイクリングコースのようで、路面に道路に大寶寺まで〇kmと標示がありました。



44番札所 大寶寺

2022/10/02 09:15:09

44番札所 大寶寺

大寶寺の駐車場は少し離れた場所にありました。
大寶寺は四国霊場八十八ヶ所霊場巡りの中間に位置するため、「中札所」といわれています。
標高490mの高原に建ち、老樹が生い茂る境内は幽玄な雰囲気に包まれていました。
山門には札所最大級のわらじが奉納されています。



大寶寺 本堂

2022/10/02 09:15:09

大寶寺 本堂

創建は古墳時代までさかのぼるといわれていてます。
百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像を山中に安置したそうです。
701(大宝元)年に安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけました。
その話が都に伝わり、ときの文武天皇の勅命により寺院を建立したと伝えられています。
大宝寺(大寶寺)という寺の名は、その時の元号に由来したそうです。



大寶寺 大師堂

2022/10/02 10:10:56

大寶寺 大師堂

弘仁年間(810年~824年)には弘法大師も訪れ、天台宗だった宗派を真言宗に改めました。
保元の乱が発生した1156(保元元)年に、後白河天皇の勅使が天皇の脳の病気平癒を祈願したところ病が治癒したたそうです。
後白河天皇は妹宮を住職として下向させ、山号である「管生山」(すごうざん)の勅額を送り、勅願寺としました。
後白河天皇の祈願逸話で病気平癒にご利益があるといわれています。



三坂峠

2022/10/02 11:39:05

三坂峠

大寶寺からは国道33号線と国道440号線で三坂峠へと向かいました。
途中、久万スキー場がありました。
三坂峠の手前から遍路道を使いました。
江戸時代の石畳の場所もありました。
この三坂峠の看板から、厳しい遍路道の始まりです。



鍋割坂

2022/10/02 11:49:45

鍋割坂

遍路道は険しいだけでなく、石もゴロゴロ転がっています。
下り坂なので、ブレーキをかけながら押して下っていきます。
何度も休憩しながら、そろりそろりと。
鍋割坂という急坂には、閉口してしまいました。
この急坂は、かつて行商の金物屋が商売用の鍋を石畳に落として割ったことから、鍋割坂の名前がつけられたと伝えられています。



久万街道

2022/10/02 11:57:15

久万街道

1892(明治25)年に旧国道33号が開通するまでは、松山と上浮穴郡や高知を結ぶ重要な街道だったそうです。
かつての遍路道としても利用されていたという松山市坂本地区へ出る道を含め、かなりの悪路であったようです。
中でも三坂峠は往復に一昼夜かかり、久万街道最大の難所であった場所だそうです。
まだ半分も来ていないのに、遍路道を使ったことを後悔し始めていました。
所々に、地元の小学生の激励の短冊がありました。



一ノ王子社跡休憩所

2022/10/02 12:46:40

一ノ王子社跡休憩所

ようやく一ノ王子社跡休憩所に到着しました。
1.2kmを休憩時間を含めて70分かかってしまいました。
高低差は300m以上あると思います。
休憩所の脇に小川が流れていて、風も心地よく休憩するには絶好の場所でした。



坂本屋

2022/10/02 13:07:35

坂本屋

明治末期から大正初期に建てられた遍路宿です。
土佐街道の難所「三坂峠」の麓にあり、昭和初期まで休息・宿泊の場として賑いを見せていたそうです。
現在は、地元住民の方と遍路をする人々が交流できる接待所として利用されています。
新型コロナの影響で、長い間お休みだったそうですが、この日からお接待を再開されたそうです。
冷たいお茶とお菓子を、お接待していただきました。



46番札所 浄瑠璃寺

2022/10/02 13:50:55

46番札所 浄瑠璃寺

坂本屋から46番札所浄瑠璃寺までは、下り基調でノンビリ走ることができます。
松山市には8カ所の札所がり、松山市の打ち始めのお寺が浄瑠璃寺です。
境内には数々の奇石があり、それぞれに触れてご利益を祈願するそうです。



浄瑠璃寺 本堂

2022/10/02 13:50:55

浄瑠璃寺 本堂

708(和銅元)年に、伊予国を訪れた行基が仏道を修行する場所を作り、薬師如来像を刻んで安置したのが始まりと伝わっています。
その後、807(大同2)年、弘法大師が荒廃した伽藍を復興しています。
浄瑠璃寺の山門脇には、正岡子規が詠んだ「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」の句碑があります。
このあたりは、遍路の元祖といわれる河野衛門三郎のふる里として知られています。



47番札所 八坂寺

2022/10/02 14:30:50

47番札所 八坂寺

47番札所八坂寺は、46番札所浄瑠璃寺と同じ町内にあり、距離も1kmほどしか離れていません。
八坂寺は、田園のゆるやかな坂の上にありました。
8か所の坂道を切り開いて創建したことが八坂という寺号の由来で、「いやさか(八坂)」にも通じる目出度い言葉です。



八坂寺 本堂

2022/10/02 14:30:50

八坂寺 本堂

修験道の祖・役小角(えんのおづむ)により開かれ、701(大宝元)年、文武天皇の勅願により創建したと伝わります。
815(弘仁6)年、弘法大師が再興したそうです。
最盛期には、48の末寺をもつ修験道の道場として栄えました。
本尊の阿弥陀如来坐像は、恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられ、50年に一度開帳される秘仏だそうです。



重信川サイクリングロード

2022/10/02 15:24:50

重信川サイクリングロード

時間があったので重信川の両岸に自転車道があったので、そちらも走ってきました。
まだ自転車でお邪魔したことがない、砥部町と東温市に寄ってきました。
重信川サイクリングロードは、松山中央公園(松山市)から新横河原橋(東温市)間の全長24km程のコースです。
一部、一般道を兼ねていますが、多くは自転車歩行者専用道です。



八ヶ所大師堂

2022/10/02 16:05:55

八ヶ所大師堂

48番札所西林寺の入口付近に大師堂がありました。
案山子まで、西林寺の案内板を持っています。



48番札所 西林寺

2022/10/02 16:09:10

48番札所 西林寺

西林寺は、お寺の前に小川が流れ、小さな橋を渡って、山門をくぐれば、見事な庭園が広がる、静謐な空気が流れるお寺です。
741(天平)13年に行基が勅願により伊予に入り、国司・越智玉純とともに一宮の別当寺として創建されたと伝わっています。
当初は別の場所にあったそうですが、807(大同2)に、弘法大師が現在地に移転、伽藍が再興されています。
阿弥陀堂の前の親子竹は、家庭円満の象徴としてご利益が大きいそうです。。



西林寺 本堂 大師堂

2022/10/02 16:09:30

西林寺 本堂 大師堂

弘法大師海は、大旱魃に悩む里人の願いを聞き、錫杖を突き、近くで清水の水脈を発見したと言われています。
西林寺の西側にある「杖の淵」がその場所だそうで、環境省の「名水百選」にも選定されています。
「杖の淵」は、西林寺の奥の院です。