2022年09月30日 宇和島駅から内子町へ

マーカーリスト

写真レポート


宇和島駅

2022/09/30 08:18:19

宇和島駅

自転車お遍路、再再スタートです。
今回は、前回で走る予定だったのに、連日の雨予報で諦めた区間を走りにきました。
宇和島駅から今治駅にかけて走る予定です。
前日に宇和島入りし、駅の近くのホテルに泊まりました。
宇和島駅前には、宇和島を最初に走った蒸気機関車のレプリカが展示されていました。
宇和島駅にはサイクルスタンドがあるので、自転車を組み立てたりするのにはありがたいです。



41番札所 龍光寺

2022/09/30 09:15:31

41番札所 龍光寺

宇和島駅を出発し、県道57号を予土線に沿って務田交差点まで進みます。
県道57号に出るまでに、路地を走りますが、遍路道←の案内が至る所にあるので迷うことはありませんでした。
案内表示を見逃すといけないので、スピードは控えめにね。
務田交差点からは県道を外れますが、案内もしっかりあるので心配はありませんでした。
龍光寺へと向かう参道は、すごく狭く車のすれ違いができないだけでなく、車と自転車のすれ違いも無理かもしれません。



龍光寺 本堂

2022/09/30 09:15:31

龍光寺 本堂

龍光寺は町を見下ろす、小高い場所にありました。
大同2(807)年に、この地を訪れた弘法大師が稲荷大明神を安置したのが始まりと伝えられています。
山門はなく、石段を上ると本堂と大師堂が、さらに上ると稲荷神社がありました。
明治時代の廃仏毀釈の名残なのでしょうか。



龍光寺 大師堂

2022/09/30 09:51:36

龍光寺 大師堂

歩き遍路の方は、40番札所「観自在寺」を参拝してから、南予のいくつもの峠を越える道のりで約50km。
札所間の距離で、6番目に長い距離だと言います。
土佐の道場は「修行の道場」と言われるのが、わかる気がしました。
この付近は、昔から穀倉地帯で現在でも特別栽培米の「三間米」を栽培する良質なお米の産地です。
龍光寺は、その穀倉地帯の守り神として、地元の方から「三間のお稲荷さん」と呼ばれて親しまれてきたそうです。



42番札所 佛木寺

2022/09/30 10:09:17

42番札所 佛木寺

41番札所龍光寺から42番札所の仏木寺までは4km弱の道のりで、下り基調です。
小高い場所にあった龍光寺と違い、田園風景の中に佇んでいました。
仁王門の脇には遍路小屋があり、自転車は遍路小屋脇に置かせてもらいました。
修行の道場を歩いてこられた歩き遍路の方は、そうやくホッとする区間なんでしょうね。



佛木寺 本堂

2022/09/30 10:42:12

佛木寺 本堂

三間町の田園地帯に建つ真言宗御室派の古刹です。
807(大同2)年に、弘法大師が楠の大木で刻んだ大日如来を本尊として開基したと伝わっています。
7月丑(うし)の日(土用の丑の日)には「きうり封じ祈祷会」が行なわれています。



佛木寺 大師堂

2022/09/30 10:50:22

佛木寺 大師堂

弘法大師が牛に導かれ当地を訪れたという逸話から、牛馬など家畜の守り神として信仰されています。
最近ではペットの祈願・供養、宇和島闘牛の牛の飼育者の祈願も多いと言います。
往時には田植えが終わった頃に参詣し、牛馬の守護札を授与され、畜舎の柱に貼っていました。
本尊・木造大日如来坐像には、鎌倉時代作の墨書銘があり、空海作の小像が胎内に納められているという墨書も残されています。



歯長隧道

2022/09/30 11:34:07

歯長隧道

歯長峠を県道31号の歯長隧道で抜けました。
遍路道は隧道の入口手前から峠へと向かう細い獣道がありました。
トンネルを抜けると、遍路小屋があったので少し休憩していました。



43番札所 明石寺

2022/09/30 12:22:50

43番札所 明石寺

歯長隧道の遍路小屋から卯之町へ一気に下り、岩瀬川沿いの遍路道に沿って進みました。
明石寺は、歴史文化博物館がある小高い丘の中腹にありました。
明石寺の駐車場は売店もあり広い駐車場でした。
真言宗のお寺が多い四国霊場ですが、この明石寺は天台宗のお寺です。
第43番で初めての天台宗のお寺ですが、他は76番金倉寺、82番根香寺と87番長尾寺の計4寺しかありません。



明石寺 本堂

2022/09/30 12:22:50

明石寺 本堂

欽明天皇(539年?571年)の御代、天皇の勅願で創建したという古刹が明石寺です。
734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となりました。822(弘仁13)年、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が伽藍を再興し、霊場としています。
現存する本堂は、1890(明治23)年頃に全国の信者の浄財によって建立されたものだそうです。



明石寺 大師堂

2022/09/30 13:00:10

明石寺 大師堂

室町時代には宇和地方を領有した西園寺氏の祈願所にもなり、伊予の武士たちの信仰も集めたそうです。
江戸時代には宇和島藩主の伊達宗利が堂宇を建立して祈願所としたそうです。
最盛期には末寺70ヶ寺を有する大寺院に発展し、隆盛を極めたといいます。
地元の方からは、「明石(あげいし)さん」とも呼ばれ慕われています。
毎年8月9日には、観音様の功徳が得られる日とされている大縁日が開催されます。



遍路小屋

2022/09/30 13:54:15

遍路小屋

明石寺からは国道56号で大洲市方向に進みます。
途中から、鳥坂隧道に向けてダラダラとした坂が続きます。
トンネルの少し手前には遍路小屋があったので休憩していました。
歩き遍路の方は、遍路道を使うかトンネルを使うかを考えるようですね。
鳥坂隧道は1117mあり、交通量は凄く多いです。
大型車が追い越していくときは、恐怖を感じるくらいでした。



臥龍山荘

2022/09/30 14:55:11

臥龍山荘

臥龍山荘は肱川流域随一の景勝地「臥龍淵」に臨む三千坪の山荘です。
大洲藩3代藩主加藤泰恒が「蓬莢山が龍の臥す姿に似ている」ことから「臥龍」と命名したといわれています。
臥龍院・不老庵・知止庵の三建築はそれぞれ数寄をこらした逸品揃いであす。
山々と肱川・如法寺河原の自然をとりいれた借景庭園は、四季折々に違った姿を見せてくれます。



おはなはん通り

2022/09/30 15:03:17

おはなはん通り

名前は1966(昭和41)年のNHK朝のテレビドラマ「おはなはん」のロケが行われたことから由来しています。
江戸時代の町割と家並等が忠実に残されており、当時の庶民の生活の一端を知ることができます。
北側の蔵並びは商屋のもので、南側は武家屋敷でした。
「東京ラブストーリー」のロケ地になった通りでもあります。



おおず赤煉瓦館

2022/09/30 15:10:37

おおず赤煉瓦館

おおず赤煉瓦館は、1901(明治34)年に大洲商業銀行の本店として建築されました。
建物は主にイギリス積みの煉瓦建築で、屋根には和瓦を葺き、和洋折衷の様式が特徴です。
現在は地元作家による手づくりの和小物、陶芸、雑貨等のギャラリー兼休憩所になっています。



大洲城

2022/09/30 15:18:47

大洲城

1331(元弘元)年の鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房によって築城されたといわれています。
その後、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。
1888(明治21)年に老朽化により天守は解体されましたが、2004(平成16)年に復元されました。
復元にあたっては、明治時代の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料を基に復元されました。
現在、江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓等4棟の櫓は国の重要文化に指定されています。



伊予灘ものがたり

2022/09/30 15:18:47

伊予灘ものがたり

JR四国の観光列車「伊予灘ものがたり」が、ゆっくり肱川を渡って行きました。
JR四国初の観光列車で、現在は2代目のキハ185系が活躍しています。
全席特急列車のグリーン車指定席の扱いで、曜日限定で松山駅から伊予大洲駅、松山駅から八幡浜駅で運転されています。
車内では地元の食材を使用した、食事のサービスが楽しめます。



十夜ヶ橋

2022/09/30 16:05:48

十夜ヶ橋

弘法大師が四国御巡錫中、この辺りにさしかかった時、日が暮れたため小川に架かる土橋の下で一晩野宿をされたそうです。
その晩「生きることに悩んでいる人々を済いたい」「悟り(即身成仏)へと導きたい」という衆生済度のもの思いに耽られました。
わずか一夜でありましたが十夜のように長く感じられ「ゆきなやむ 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜の橋とおもほゆ」と詠まれました。
これから十夜ヶ橋(とよがはし)と名付けられたと伝えられています。



内子駅

2022/09/30 17:24:08

内子駅

今日の宿は、内子駅近くです。
内子駅はJR四国の予讃線と内子線の駅です。
1920(大正9)年に愛媛鉄道内子線の駅として開業しましたが、現在の駅から少し離れた魔所にありました。
内子線は五郎駅と内子駅を結ぶ盲腸線でした。
1986(昭和61)年に向井原駅(予讃線)-内子駅と新谷駅-伊予大洲駅(予讃線)の短絡ルートが完成します。
松山駅と宇和島駅を結ぶ特急は短絡ルートに変更され、特急も停車するようになりました。