2022年05月23日 いなべ市から岐阜市まで走りました

マーカーリスト

写真レポート


畑新田溜

2022/05/23 09:14:00

畑新田溜

いなべ野池群の一つです。
いなべ野池群は「溜(ため)」という呼称と「池」の呼称が混在しています。
周囲約530m、貯水量約9万トンの灌漑用の溜池です。



多度大社

2022/05/23 09:41:06

多度大社

多度大社は、北伊勢大神宮と別名を持っています。
北伊勢地方の総氏神様として崇められています。
伊勢神宮との関係も深いため、「お伊勢参らばお多度もかけよ お多度かけねば片参り」とも謡われています。



多度大社

2022/05/23 09:43:36

多度大社

多度大社は鳥居をくぐると、白馬が神様のお使いとしてご奉仕していて、参拝者を出迎えてくれます。
その前に、伊勢志摩海女萌キャラの「碧志摩メグ」が迎えてくれました。



於葺門

2022/05/23 09:43:46

於葺門

この門を境にして、ご本殿の神域に入ります。
門をくぐるとこれまでとは全く異なる、荘厳な雰囲気に包まれます。



別宮 一目連神社

2022/05/23 09:43:46

別宮 一目連神社

向かって右にある、天目一箇命(あめのまひとつのみこと)を祀る「別宮 一目連神社」です。
「目が一つ」という名前を持つ天目一箇命は、天照大神の孫であたります。
製鉄・鍛冶の神さまとされ、一目連社では台風除けの神さまとしても信仰されています。
天目一箇命は本宮の御祭神である天津彦根命の御子神でもあります。



本宮 多度神社

2022/05/23 09:43:46

本宮 多度神社

向って左にある社殿が、天津彦根命を(あまつひこねのみこと)祀る「本宮 多度神社」です。
天津彦根命は、雨乞いの神、風の神として崇敬されています。
多度神として祀る多度大社周辺では、平安時代初期頃にはこの辺り総氏神として崇められていたと伝わっています。



油島大橋

2022/05/23 10:36:46

油島大橋

県道23号で揖斐川にかかる油島大橋を渡ります。
この先にも、長良川にかかる長良川大橋、木曽川にかかる立田大橋と連続して木曽三川を渡ります。
油島大橋の途中までは三重県、油島大橋の途中から長良川大橋の途中までは岐阜県、その先が愛知県と、短い距離で三つの県を走ることに。



道の駅 立田ふれあいの里

2022/05/23 10:50:56

道の駅 立田ふれあいの里

道幅はそれほど広くなく、大型車も多く走っていたので、油島大橋からは歩道を走ってきました。
橋の両側に歩道がありました。
道の駅周辺には蓮根畑が広がっています。
6月下旬から7月が蓮根の花がシーズンだそうで、白やピンク色の花を楽しむことができるそうです。



津島神社南門

2022/05/23 11:21:36

津島神社南門

「尾張津島天王祭」でも親しまれる津島神社は、除疫、授福の神である牛頭天王信仰の中心社です。
かつては「津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)」と称されていました。
540年、欽明(きんめい)天皇元年の鎮座と伝えられており、1400年以上もの歴史を誇ります。



津島神社

2022/05/23 11:23:06

津島神社

京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められ、全国に3,000以上点在する津島神社の総本社でもあります。
津島神社の大祭として、日本三大川まつりのひとつに数えられるのが、尾張の夏の風物詩となる「尾張津島天王祭」です。
津島五車のまきわら船の提灯に灯がともされ、津島笛を奏でながらと天王川(丸池)を漕ぎ渡って行くそうです。
「尾張津島天王祭」は、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。



津島神社 楼門

2022/05/23 11:45:46

津島神社 楼門

津島牛頭天王社の神の霊力は民衆のみならず、戦国の武将や大名からも崇拝され、織田・豊臣・徳川から格別の崇敬を受けています。
織田信長は、当社を氏神と仰いで造営に協力したそうです。
「楼門」は豊臣秀吉、「南門」は豊臣秀頼の寄進「本殿」は徳川家康の四男で清洲城主の松平忠吉の寄進とされています。
江戸時代には「伊勢津島、両方詣らにゃ片詣り」と言われ、お伊勢詣りの折りに、津島神社に詣でることがならわしだったそうです。
今でも「津島さん」「天王さん」などと全国から多くの人々が「津島詣」に訪れます。



七宝焼原産地道標

2022/05/23 12:19:23

七宝焼原産地道標

七宝焼は、江戸時代末に服部村(現名古屋市中川区富田町)の梶常吉により創始され、七宝町の町名の由来ともなっています。
七宝町においては、当時の遠島村の林庄五郎が、梶佐太郎より技法を伝授され、その後、遠島村を中心として広まったそうです。
この道標は1895(明治28)年に建てられたものだそうです。
明治時代には、七宝焼は輸出の花形であったことからか、碑の上部にローマ字でShippoyaki Toshimaと刻まれています。



津島街道道しるべ

2022/05/23 13:01:13

津島街道道しるべ

新川橋西詰交差点で津島街道は美濃路から分岐します。
新川橋西詰に建つ3基の津島街道道しるべがありました。
一番右の道しるべには「左つしま道」と刻まれています。
後ろの壁には説明書きがありました。



清州城

2022/05/23 13:22:28

清州城

月曜日は休館日で、残念ながら中に入ることはできませんでした。
何年か前に清州城には行ったことがあるのですが、せっかくだったので見学したかったですね。
その時も、自転車と一緒でした。
清州城は、織田信長の天下取りの出発点と言われていて、「出世城」の一つです。



真清田神社

2022/05/23 14:17:38

真清田神社

この地は、木曽川の灌漑用水による清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています。
平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、人々の崇敬を集めました。
鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。
その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。



真清田神社 本殿

2022/05/23 14:18:53

真清田神社 本殿

江戸時代には、徳川幕府は神領として、尾張藩主徳川義直は、1631(寛永8)年の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。
明治から大正にかけては、皇室国家から厚待遇を受けました。
戦後は、一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられています。



木曽川橋

2022/05/23 15:10:33

木曽川橋

県道14号の橋で、愛知県と岐阜県境にかかる橋です。
木曽川を渡るのは、今日2回目です。
川上側に歩行者自転車専用の橋があります。



加納城跡

2022/05/23 15:45:16

加納城跡

加納城は、徳川家康が1600(慶長5)年の関ヶ原合戦の直後、築城を命じた城です。
北から南へ五つの曲輪があり、それらわ堀と川に囲まれ、「水に浮かぶ城」という景観だったそうです。
石垣などは、関ヶ原合戦で落城した岐阜城から運んだと伝えられています。



岐阜駅

2022/05/23 16:01:06

岐阜駅

この日の宿の近くの岐阜駅前には、黄金の織田信長像がありました。
この時期からなのでしょう、信長もマスクをしています。
屋外で、2m以上離れていて、会話が無い時は、マスクを外しても良いと言われているし、
これからは、熱中症も心配だから、信長さんはマスクを外しても良いのでは?