地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 08:27:09 | 0.00km | 11m | ||
00:25:50 | 5.61km | 13.0km/h | ↑25m ↓25m | 0.00% | |
地蔵橋 | 08:53:04 | 5.61km | 6m | ||
00:32:11 | 6.64km | 12.3km/h | ↑39m ↓23m | 0.24% | |
18番札所 恩山寺 仁王門 | 09:34:40 | 12.25km | 23m | ||
00:19:16 | 4.02km | 12.4km/h | ↑70m ↓93m | -0.58% | |
お京塚 | 10:33:21 | 16.26km | 6m | ||
00:04:55 | 1.01km | 11.7km/h | ↑4m ↓1m | 0.30% | |
19番札所 立江寺 | 10:52:26 | 17.27km | 14m | ||
00:44:00 | 9.92km | 13.4km/h | ↑93m ↓63m | 0.30% | |
生名谷川 | 12:19:37 | 27.19km | 39m | ||
00:45:30 | 4.04km | 4.9km/h | ↑269m ↓11m | 6.59% | |
鶴峠 | 13:48:22 | 31.23km | 287m | ||
00:06:40 | 0.48km | 3.2km/h | ↑38m ↓0m | 9.04% | |
遍路道 | 14:09:07 | 31.71km | 349m | ||
00:22:45 | 1.35km | 3.3km/h | ↑122m ↓0m | 9.39% | |
20番札所 鶴林寺 | 14:57:42 | 33.07km | 482m | ||
01:28:05 | 22.32km | 15.1km/h | ↑162m ↓645m | -2.18% | |
GOAL | 17:20:27 | 55.39km | 8m |
2022/03/30 08:53:04
17番札所井戸寺から18番札所恩山寺へ向かうルートは、いくつかあるようです。
僕は徳島市内から県道136号で地蔵橋駅近くから地蔵橋を経由するルートを選びました。
地蔵橋から江田の渡しで勝浦川を渡り、中田村を経由するルートもあったそうです。
2022/03/30 09:34:40
仁王門付近から本堂への遍路道は国指定の史跡です。
聖武天皇の勅願で行基が厄除けのための薬師如来を刻み、本尊として開基しました。
創建時は「大日山密厳寺福王院」と称し、災厄悪疫の道場で、女人禁制だったそうです。
2022/03/30 09:59:00
百余年の後、弘法大師が恩山寺で修行されている時、弘法大師も母が弘法大師を訪ねてきました。
弘法大師は仁王門近くの滝に打たれて、17日の秘法を修業して、女人の登山を開禁されたそうです。
女人解禁の祈願を成就して、お母さんを迎え入れることができたそうです。
その後母は剃髪し、弘法大師は山号を「母養山恩山寺」と改めたと伝えられています。
2022/03/30 10:01:00
太子堂にある本尊は、弘法大師が自分自身を彫ったと言われています。
太子堂の横の建物は、弘法大師の横に弘法大師の母・玉依御前を祀る御母公堂があります。
御母公堂には玉依御前の髪の毛も奉納されているそうです。
2022/03/30 10:33:21
県道136号を進んでいると、お京塚の石碑がありました。
江戸時代の遍路「お京」さんを祀った「お京塚」が有ったそうです。
現在はヘンロ小屋が建っています。
2022/03/30 10:52:26
四国霊場に4つある関所寺の一つで、立江寺は「阿波の関所」と呼ばれています。
関所とは違い、「悪人は境内に立ち入ることができない」という信仰的なものだそうです。
邪悪な心を持つ者や行いが悪い者が関所寺に入ると、弘法大師が仏罰を下すといわれています。
2022/03/30 10:57:56
聖武天皇の勅願寺として、行基が光明皇后の安産を祈願し一寸八分の金の子安の地蔵菩薩を刻み本尊として開基したとされています。
立江寺の御本尊は地蔵菩薩で、昔から「立江の地蔵さん」「子安の地蔵さん」として親しまれています。
地蔵菩薩像は6cmほどの小さいものだったため、紛失をおそれた弘法大師が等身大の地蔵菩薩像を彫り、胎内に納めたといわれています。
2022/03/30 11:04:56
大師堂の御本尊は「黒面大師」と呼ばれる、黒い姿をした大師像だそうです。
黒面大師は「厄除け大師」とも呼ばれていて、人々の厄を受けて黒くなったという伝説があります。
「悪人が参拝すると仏罰が下る」といわれる立江寺には、実際に仏罰が下った伝説があります。
大師堂の右隣にある「黒髪堂」には、お京さんの髪が頭皮ごと巻き付いたままの鐘の緒が奉納されています。
2022/03/30 12:19:37
「道の駅ひなの里かつうら」の脇に、見事な桜並木がありました。
今日は平日というのに、大勢の人で賑わっていました。
桜の木の下で、お弁当を広げている家族も。
2022/03/30 13:48:22
鶴林寺左の交差点を過ぎた辺りから、上りが始まります。
鶴林寺まで4km地点からは何度も休憩しながら上ってきました。
もちろん押すことも。
道の駅からは約4kmなのですが、休憩を含めて90分近くかかっています。
鶴峠は標高約287mですが、鶴林寺まで上りが続きます。
2022/03/30 14:09:07
遍路道と交差する所がありました。
休憩するのには良いベンチもありました。
休憩しているときに歩き遍路の方が上ってこられました。
2022/03/30 14:57:42
鶴峠から約2kmで、休憩を含めて約1時間かかってきました。
鶴林寺まで5km地点から2時間30分もかかってしまいましたが、予定よりも早く着くことができました。
23ある阿波の霊場のうちで、一に焼山(12番焼山寺)、二にお鶴(20番鶴林寺)、三に太龍(21番太龍寺)といわれる難所の一つです。
周辺の遍路道が「阿波遍路道」として国史跡に指定されています。
2022/03/30 15:01:42
番鶴林寺は、その名の通り鶴に縁が深い札所です。
山門には鶴が仁王像の代わりにいました。
本堂の両脇にも一対の鶴がいました。
2022/03/30 15:21:12
平安時代初めの延暦17年(798年)、桓武天皇の勅願寺として開山と言われています。
寺の名は弘法大師が修行の時に雌雄の白鶴が本尊・地蔵菩薩の降臨を守護したことから霊鷲山鶴林寺と名付けられたと伝えられています。
鶴林寺からの下り坂も勾配がきつくて、ブレーキをにぎりしめて、ゆっくりゆっくり下ってきました。
2022/03/30 17:13:02
鶴林寺には翌日に行く予定でした。
前日、徳島市内で飲みながら晩御飯を食べていた時に、市内観光をパスすれば鶴林寺に行けるかな。
そんな気持ちで鶴林寺に行ったのですが、明日の行程が楽になるので正解だったようです。
ただし、予約していた宿は小松島市内なので、その分多く走ることになりますが。
牟岐線の気動車が通過していきました。
宿までは、後少しです。