地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
神山温泉 | 09:08:14 | 0.00km | 150m | ||
00:21:31 | 2.84km | 7.6km/h | ↑72m ↓0m | 2.57% | |
阿保坂 | 09:41:25 | 2.84km | 214m | ||
00:52:34 | 13.37km | 15.2km/h | ↑65m ↓259m | -1.46% | |
13番札所 大日寺 | 10:39:39 | 16.21km | 31m | ||
00:16:11 | 2.41km | 8.8km/h | ↑32m ↓39m | -0.29% | |
14番札所 常楽寺 | 11:25:52 | 18.61km | 22m | ||
00:04:00 | 0.81km | 11.6km/h | ↑6m ↓9m | -0.37% | |
15番札所 国分寺 | 12:12:02 | 19.43km | 21m | ||
00:10:35 | 1.98km | 11.0km/h | ↑9m ↓10m | -0.05% | |
16番札所 観音寺 | 12:50:12 | 21.40km | 9m | ||
00:16:45 | 2.90km | 10.3km/h | ↑15m ↓20m | -0.17% | |
17番札所 井戸寺 | 13:31:07 | 24.30km | 4m | ||
00:18:50 | 3.37km | 10.6km/h | ↑24m ↓19m | 0.15% | |
蔵本駅 | 14:52:17 | 27.68km | 12m | ||
00:34:05 | 6.59km | 11.5km/h | ↑70m ↓77m | -0.11% | |
GOAL | 15:55:49 | 34.27km | 4m |
2022/03/29 09:08:14
昨晩は神山温泉に泊まりました。
温泉で疲れた体を癒してあげたと思うのですが、体全体が痛いです。
自転車はホテル横にある東屋に置かせてもらいました。
2022/03/29 09:41:25
阿保坂を上り切った国道脇に、見事な桜並木がありました。
お花見を楽しんでいる方もいらっしゃいました。
東京だったら人だらけなんだろうなと思ったりしていました。
2022/03/29 10:39:39
12番札所焼山寺から歩き遍路だと25km程あるそうです。
11番札所藤井寺から8時間かけて焼山寺に着いて、どこに宿をとるのかと心配したりしていました。
県道21号に入り、立見峠からは殆ど下りでした。
平坦部分になると、昨日の劇坂からの疲れか、楽に進めませんでした。
2022/03/29 10:52:39
弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地に巡錫し、護摩修法をしていたとされます。
その時に大日如来からこの霊地に一宇を建立すべしとのお告げがあったそうです。
そこで空海は大日如来像を刻み堂宇を建立、本尊として安置したと伝えられています。
2022/03/29 10:54:19
平安時代後期に阿波国の総鎮守である一宮神社が建てられたとき、その別当寺として門前の一宮を管理しています。
神仏習合時代は一宮寺として機能し、一宮神社の方に参拝し、寺は納経所となっていました。
明治時代の神仏分離令によって一宮神社から独立したそうです。
大日寺から17番井戸寺までは徳島市内にあるので、地元の人は「5ヶ所参り」と称して日帰りで5寺をお参りするそうです。
2022/03/29 11:25:52
吉野川水系の一つ、鮎喰川を渡って常楽寺に向かいます。
13番札所大日寺から2.5km程でした。
常楽寺には山門がなく、石柱があるだけです。
ここでも満開の桜が出迎えてくれました。
2022/03/29 11:34:22
本堂へはむき出しの岩の上を歩いて行きます。
常楽寺の見どころの一つ「流水岩」だそうです。
切り崩した岩がむき出しの上にお寺を移転したそうです。
そして、長い年月風雨にさらされたことで水の流れるような模様が刻まれたそうです。
2022/03/29 11:35:42
弘法大師がこの地で修行をしていた際に、弥勒菩薩が多くの菩薩を連れた姿を感得しまた。
そこで霊木に弥勒菩薩を刻み堂宇を建立して本尊として安置したといいます。
常楽寺の御本尊は四国霊場で唯一の弥勒菩薩です。
常楽寺は現在はそれほど大きなお寺ではありませんが、かつては七堂伽藍を持つ大寺院でした。
2022/03/29 12:12:02
14番札所常楽寺からは1km弱の距離にあるので、歩き遍路の方も、ホッとするのではないでしょうか。
道なりに行くのですが、ほとんど路地を進むので、道しるべが多くありました。
15番札所国分寺は、聖武天皇が天下の泰平を願って建立した全国に作られた国分寺のひとつです。
正式には「阿波国分寺」と言います。
国分寺は四国霊場では四国全ての県にあり、それぞれ札所となっています。
2022/03/29 12:22:17
天正年間の兵火にかかって焼失する迄は、二町四方の寺領を持つ大きなお寺だったと伝えられています。
もともとは真言宗のお寺だったそうですが、禅宗の僧侶が復興したことで改められ、四国霊場では唯一の曹洞宗のお寺です。
国分寺の庭園は、国の名勝に指定されています。
2022/03/29 12:24:47
太子堂は平成8年(1996年)に火災で全焼し、烏枢沙摩明王堂が仮大師堂となっていました。
平成26年(2014年)に再建されています。
四国霊場では唯一の「烏枢沙摩明王」をお祀りしたお堂もあります。
「烏枢沙摩明王」はトイレの神さまとして信仰されています。
2022/03/29 12:50:12
国分寺から約2km程の住宅地の中にあります。
国道192号を横断するのですが、近くの信号を渡った方が安全です。
この辺りになると、道しるべが少なくなってしまい、何度か地図などで確認しまがら進みました。
結局、信号を渡った所付近から、間違えてしまったようです。
後日確認したら、信号を渡って国道の歩道を北上し、ガードレールのきれた所(道しるべがあります)から脇道に入るのが正しいみたいです。
2022/03/29 13:01:22
天平年間、聖武天皇が全国に国分寺を建立した際、行基菩薩に命じ、勅願道場として建てられたのが本寺の始まりです。
その後、弘仁7年(816年)にこの地を訪れた弘法大師が御本尊の千手観音像を刻み、寺号を「観音寺」と改めました。
この観音寺も天平年間の兵火で焼失してしまったそうです。
荒廃していたお寺を、万治2年(1659年)に3代目徳島藩主・蜂須賀光隆公が再建したそうです。
2022/03/29 13:02:22
南北朝時代に制作されたとみられる仏涅槃図など数多くの寺宝を持つことで知られています。
太子堂脇の「夜泣き地蔵」は子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊として信仰されてきました。
子供の病気平癒、健康、成長を祈願し、ご利益を授かったお礼に、よだれかけが奉納されています。
姑を虐待していた遍路の女性の白衣が燃えた話や盲目の遍路の目が治った話なども伝えられています。
観音寺周辺は、阿波国の国府の中心のだったと推測されています。
2022/03/29 13:31:07
観音寺からは3km弱で、徳島市最後のお寺です。
四国霊場が隣接していることを見ても、阿波国の中心地ではと推測することができます。
井戸寺という寺号のとおり、境内には弘法大師が掘ったという井戸があります。
その井戸を覗いて井戸に姿が映らなければ3年以内に厄災があると言い伝えられています。
2022/03/29 13:38:52
井戸寺は白鳳2年(673年)に天武天皇の勅願道場として創建されました。
広大な敷地と末寺12坊を持つ大寺院で、当時は「妙照寺」というお寺でした。
弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地を訪れ、十一面観世音菩薩像を刻んで安置しています。
そのとき、民衆が水不足や濁り水に悩んでいると聞き、錫杖で一夜にして井戸を掘ったという言い伝えがあります。
この言い伝えから、寺号を「井戸寺」としたそうです。
2022/03/29 14:52:17
JR四国高徳線の駅です。
戦前は陸軍の基地の最寄り駅として、賑わっていたそうです。
現在は学生の街に貌しています。
今日は徳島市内に泊まります。
宿に行く前に、お遍路グッズが足りなくなったので買い足しに行ってきます。