地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 08:05:16 | 0.00km | 16m | ||
00:00:05 | 0.01km | 3.7km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
6番札所 安楽寺 | 08:05:26 | 0.01km | 18m | ||
00:38:04 | 7.01km | 10.9km/h | ↑51m ↓63m | -0.17% | |
愛染院 | 08:56:51 | 7.01km | 27m | ||
00:09:10 | 0.69km | 4.5km/h | ↑15m ↓0m | 2.22% | |
藍染庵 | 09:07:11 | 7.71km | 49m | ||
00:14:45 | 1.29km | 4.8km/h | ↑45m ↓3m | 3.50% | |
4番札所 大日寺 | 09:34:11 | 9.00km | 77m | ||
00:06:50 | 1.85km | 15.9km/h | ↑0m ↓59m | -3.21% | |
5番札所 地蔵寺 | 10:18:31 | 10.85km | 17m | ||
00:27:00 | 5.16km | 11.4km/h | ↑35m ↓30m | 0.10% | |
6番札所 安楽寺 | 11:10:06 | 16.01km | 26m | ||
00:09:47 | 1.39km | 8.3km/h | ↑16m ↓1m | 1.09% | |
7番札所 十楽寺 | 11:54:48 | 17.41km | 44m | ||
00:20:00 | 3.24km | 9.5km/h | ↑40m ↓7m | 1.02% | |
三木武夫邸跡 | 12:52:33 | 20.64km | 72m | ||
00:07:05 | 0.90km | 7.3km/h | ↑14m ↓0m | 1.58% | |
8番札所 熊谷寺 | 13:14:23 | 21.54km | 80m | ||
00:13:05 | 2.47km | 11.1km/h | ↑14m ↓71m | -2.33% | |
第9番札所 法輪寺 | 14:03:08 | 24.01km | 30m | ||
00:25:51 | 3.63km | 8.4km/h | ↑83m ↓8m | 2.08% | |
10番札所 切幡寺 | 14:57:14 | 27.65km | 115m | ||
00:47:05 | 10.53km | 13.3km/h | ↑80m ↓177m | -0.93% | |
GOAL | 16:54:00 | 38.18km | 20m |
2022/03/27 08:05:26
昨日は安楽寺の宿坊に泊まりました。
夜には勧行があり、僕も参加してきました。
まだ6番目のお寺なので、読経の仕方などを教えてくれるのかなと思ったのですが、本格的なものでした。
本堂と自転車が一緒に撮れるのって、何か有り難い気持ちになります。
2022/03/27 08:41:51
昨日、宿に向かうために離脱したコースに復帰しました。
歩き遍路道があるので、そちらを進むことにしました。
遍路道「こっち」の道しるべもあり、迷うこともありませんでした。
ただし、押して進むことになりますが。
2022/03/27 08:56:51
3番札所金泉寺の奥の院です。
弘仁7年(816年)弘法大師がこの地を巡錫した折に霊地と定め、一宇を建立して、自ら刻んだ不動明王の坐像を安置したと伝えられています。
珍しい坐像の不動明王をお祀りしていて、「那東(なとう)のお不動さん」として親しまれています。
山門には巨大なわらじがあります。
2022/03/27 09:07:11
「藍久さん」の愛称で親しまれていた犬伏久助が祀られています。
犬伏久助は、天明元年(1781年)、藍のすくも製法の改良に成功し、阿波藍の発展に多大な貢献をしました。
「岩田ツヤ子の碑」もありました。
第二次世界大戦中、国の方策に依り藍作りは食料増産の為、禁止作物となったそうです。
藍は一年草の為、毎年種を採り続けないと途絶えてしまうため、この地で密かに藍を作り続けたそうです。
捨て身の努力で守られた藍種に依り、戦後一早く藍作りが復活しました。
2022/03/27 09:25:06
徳島自動車道のガード先から再び遍路道を進みました。
途中には、階段や急坂がありましたが、昔ながらの道しるべもありました。
2022/03/27 09:34:11
大日寺の手前500m位から上り坂になります。
大日寺は弘法大師四国御巡錫の開基と伝えられています。
本尊の大日如来は一寸八分の秘仏で、弘法大師の刻まれたものといわれ大日寺と称されたそうです。
2022/03/27 09:50:46
四国八十八ヶ所には第4番、第13番、第28番と大日寺が3ヶ寺あります。
そのうちの一寺がこちらで、板野町の山中、人里を離れた渓流に臨む閑静な地に建っています。
また、境内が三方を山に囲まれていて「黒谷」と呼ばれていたことから「黒厳山」の山号があります。
かつては立派なお堂や塔が並ぶ荘厳でとても広い境内のお寺だったそうです。
しかし、何度も荒廃し廃寺と再興を繰り返したそうです。
2022/03/27 10:00:46
大日寺の本堂と大師堂は回廊で結ばれていて、その中には木造の三十三観音が並んでいます。
この回廊を歩くことにより、西国霊場をお参りするのと同じ功徳があるそうです。
その回廊を過ぎると大師堂があります。
2022/03/27 10:18:31
4番札所大日寺からは、ずっと下りでした。
スピードを出しすぎると、道しるべを見落とすことになるので注意しないとね。
地蔵寺は、嵯峨天皇の勅願で弘法大師の創建と伝わる古刹です。
2022/03/27 10:28:46
嵯峨天皇・淳和天皇・仁明天皇の3代にわたって天皇からの帰依が厚かったそうです。
また、本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚くかったと伝えられています。
勝軍地蔵菩薩は悪者を退治して災いをはらってくれるといわれています。
勝軍地蔵菩薩を御本尊としているのは四国霊場では地蔵寺だけだそうです。
2022/03/27 10:43:11
地蔵寺は、寺領の寄進もあって、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国に300の末寺を数える中本寺として栄えました。
しかし、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失してしまったそうです。
江戸時代に、徳島藩主蜂須賀氏の庇護を受け、歴代住職や信者の尽力により再興されました。
地蔵寺の裏手には奥の院「五百羅漢」があります。
僕は行きませんでしたが、見ごたえがあるそうです。
2022/03/27 11:10:06
昨晩の宿だった安楽寺に戻ってきました。
自転車は道路沿いに置いて仁王門で一礼して参拝を始めます。
僕のことを覚えてくれていたお寺の方が、「自転車はどこに置いたの?」と声をかけてくれました。
安楽寺の山門は竜宮城のような門は鐘楼門で、2階には鐘があります。
その左右に仁王像がお祀りされていました。
2022/03/27 11:18:46
安楽寺は弘法大師の時代からある温泉が有名なお寺で、山号も「温泉山」といいます。
安楽寺は弘法大師による創建で、創建当初の安楽寺は現在の場所から約2.5km離れた「安楽寺谷」にありました。。
弘法大師はこの地で温泉を発見し、その温泉が民衆を病から救う薬師如来と縁が深い土地であると考えたそうです。
2022/03/27 11:25:46
弘法大師がこの地で修行中にその姿をイノシシと見間違えた猟師が誤って矢で射ってしまいました。
幸運なことに、松の木が身代わりとなって矢を受けたために弘法大師は無事でした。
必死に謝る猟師に事情を聞くと、病気の父親のためにイノシシの肝を飲ませようとしていたことがわかりました。
弘法大師が加持祈祷をしたところ、数日寝たきりだった猟師の父親の病は治ったそうです。
その松を逆さまに植え「この松が芽を出して栄えることがあれば、後にこの地を踏む者は災厄を逃れるだろう」と予言したと伝わっています。
この伝説から、安楽寺は厄除けの寺といわれています
2022/03/27 11:54:48
弘法大師がこの地に逗留した際に阿弥陀如来を感得し、楠にその像を刻み本尊として祀ったとされます。
人間の持つ「八つの苦難」を離れ、極楽浄土で受けられる「十の光明に輝く楽しみ」が得られるようにと考えられたそうです。
そこで、山号・寺号を「光明山十楽寺」としたと伝えられています。
2022/03/27 12:23:18
十楽寺は竜宮城のような赤い門と眼病を治してくれるというお地蔵さまが有名なお寺です。
本堂前にある「治眼疾目救済地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされます。
2022/03/27 12:52:33
徳島県が生んだ第66代内閣総理大臣三木武夫の実家跡に、記念碑が建てられています。
周囲は「おもてなし公園」として整備されています。
へんろ小屋もあり、少しノンビリさせてもらいました。
2022/03/27 13:14:23
熊谷寺は、四国随一の規模を誇る仁王門で知られています。
貞享4年(1687年)に建立されたものです。
仁王門は高さ12.3m、間口9mの三間重層の造りで、徳島県の重要文化財に指定されています。
二層目の天井や柱には、天女などが描かれているそうです。
2022/03/27 13:30:13
弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地の閼於ヶ谷で修行をされていました。
その折、紀州の熊野権現があらわれ「末世の衆生を永く済度せよ」と告げら、5.5センチほどの金の観世音菩薩像を授けられました。
弘法大師その場にお堂を建てました。
霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、その胎内に金の尊像を納めて本尊にされた、と伝えられています。
「花のお寺」といわれる熊谷寺では広い境内で四季折々の風景が楽しむことができます。
2022/03/27 13:53:28
高さ18mの大きな多宝塔は四国霊場最古のものだそうです。
安永3年(1774年)に建立された歴史あるものです。
周囲は桜が誇らしげに咲いていました。
2022/03/27 14:03:08
熊谷寺から2.5km程で到着します。
田畑の中にポツンと建っており、「田中の法輪さん」と地域んお住民から呼ばれて親しまれています。
弘仁6年(815年)に、弘法大師がこの地方で巡教されていた時、白蛇を見つけました。
白蛇は仏の使いであるといわれていることから、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基したと伝えられています。
2022/03/27 14:15:08
本尊は四国霊場で唯一の涅槃釈迦如来です。
弘法大師が刻んだと伝えられる像は秘仏とされ、5年に一度開帳されます。
足の悪かった参拝者が、参道の途中で歩けるようになったという話から、足の病気に霊験があるとされています。
本堂には健脚祈願の多くのわらじが奉納されていました。
2022/03/27 14:31:13
大師堂には法輪寺の寺宝である弘法大師の御衣(おころも)があります。
承和2年(835年)に入定した弘法大師は今も高野山・奥の院で修行を続けているといわれ、年に一回衣替えが行われています。
法輪寺にある御衣は明治15年(1882年)に、明治天皇から下賜された物だそうです。
2022/03/27 14:57:14
徳島道のガード付近からの劇坂には、言葉が出ませんでした。
道幅も狭く、まるで壁のように立ちはだかっています。
当然のことですが、自転車を押して上りました。
2022/03/27 15:00:34
切幡寺は標高155mの山の中腹にあり、最初の山寺です。
山門をくぐると延々と続く急勾配の石段が迎えてくれます。
この石段を見た瞬間、11番札所藤井寺は明日にしようと思いました。
「是より三三三段」と刻まれた石碑がありました。
石段を上って行くと、厄年に合わせて33段の女厄除坂、42段男厄除坂がありました。
2022/03/27 15:30:34
切幡寺は弘法大師とはた織り女の伝説でも知られるお寺です。
弘法大師がこの地を訪れた時、とある村で機織りの娘に出会いました。
ほころびた僧衣を繕うために布切れを求めたところ、娘は織りかけていた布を惜しげもなく切って大師に差し出したそうです。
弘法大師はこの厚意に大変感動し、仏門に入りたいという娘の願いを叶えたところ、娘が千手観音菩薩に姿を変えたと伝えられています。
女人即身成仏の伝説で有名なお寺で、その千手観音菩薩が本尊になっています。
2022/03/27 16:24:45
吉野川には多くの潜水橋が架けられています。
潜水橋とは大雨などの洪水時、増水してもその橋の上を増水した水が乗り越えて流れるように作られた橋のことです。
そのため水の抵抗を受けるような欄干もなく、橋が負荷を受けて壊れないようになっています。
四万十川の沈下橋と同じですね。