地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
徳島空港 | 11:54:03 | 0.00km | 15m | ||
00:49:24 | 10.14km | 12.1km/h | ↑59m ↓56m | 0.03% | |
勝瑞城跡 | 13:09:02 | 10.14km | 7m | ||
00:22:35 | 4.02km | 10.5km/h | ↑40m ↓23m | 0.42% | |
坂東駅 | 13:54:12 | 14.16km | 21m | ||
00:05:30 | 0.87km | 9.1km/h | ↑5m ↓8m | -0.35% | |
1番札所霊山寺仁王門 | 14:05:02 | 15.04km | 22m | ||
00:09:40 | 1.52km | 8.9km/h | ↑5m ↓16m | -0.73% | |
2番札所極楽寺仁王門 | 15:44:17 | 16.55km | 13m | ||
00:14:35 | 2.46km | 10.0km/h | ↑17m ↓13m | 0.16% | |
3番札所金泉寺仁王門 | 16:30:27 | 19.02km | 16m | ||
00:40:05 | 8.85km | 13.2km/h | ↑55m ↓55m | 0.00% | |
6番札所安楽寺 | 17:34:17 | 27.87km | 20m | ||
00:01:15 | 0.09km | 4.1km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
GOAL | 17:37:02 | 27.95km | 24m |
2022/03/26 11:54:03
徳島の雨風が強く、羽田空港を条件付きの出発となりました。
かなり揺れましたが、少し遅れて無事に到着しました。
やんでいた雨が走り始めたら再び降ってきました。
少し雨宿りをしてから出発します。
2022/03/26 13:09:02
勝瑞に所在し、阿波の実権を握っていた三好氏の居城跡と推定されている遺跡です。
平城跡と居館跡がに国の史跡に指定されています。
阿波国の守護所であり、近年の発掘調査でその繁栄の一端をうかがうことができました。
現在も発掘調査が行われていて、遺跡の全体の形はわかっていません。
2022/03/26 13:11:22
城跡には「勝瑞義冢碑」(しょうずいぎちょうひ)があります。
阿波三好氏の盛衰が漢文で書き連ねられている石碑だそうです。
徳島藩の儒員で四国正学と称された那波魯堂(なばろどう)が記したものだそうです。
近くには東屋があったので、雨宿りを兼ねて休憩していました。
雨宿りをしていたら、風が弱くなってきました。
それならお遍路グッズを買いに1番札所霊山寺に寄ろうかと思いました。
2022/03/26 13:54:12
1番札所霊山寺の玄関口の坂東駅です。
歩き遍路の方の多くは、この駅を使うのでしょうね。
何故か気持ちが引き締まった感じがします。
2022/03/26 14:02:07
1番札所霊山寺への入口です。
お遍路は弘法大師が42歳の時に、自身と人々の災いを除くために、歩いた道を仏道修行の道場として札所としたものが始まりとされています。
すべての寺を巡ると八十八の煩悩が除かれ、八十八のご利益・功徳が得られるといわれています。
2022/03/26 14:05:02
第1番札所にあたる「霊山寺」は、約1300年前に聖武天皇の勅願で行基が開いた古刹です。
第1番とされたのは、弘法大師が密教の阿字五転(発心 修行 菩提 涅槃 利他)の法則に従い、四国の東北の角を発心点としたためだそうです。
近くのお遍路ショップでお遍路グッズを購入しました。
買ったのは、菅笠、白衣、輪袈裟、納経帳、経本、納札で、約1万円でした。数珠やろうそく、線香などは事前に用意して持ってきました。
お遍路グッズを買っていると雨もやんでくれました。
2022/03/26 15:10:12
お遍路スタイルに変身し、いよいよお遍路のスタートです。
まずは山門で一礼し境内に入ります。手水舎で口をすすぎ、手を洗い身を清めます。鐘楼堂で鐘をつきます。「ゴーン」と。
本堂からお参りします。
ろうそくを1本あげ、線香を3本あげます。納札を納め、お賽銭をあげます。経本に従ってお参りします。こんな感じでお参りしていました。
般若心経をあげるのですが、僕は宗教に興味がないので全くの素人なのでゆっくりと読んでいました。
経本には、ふりがなはふってあるのですが、アクセントやテンポがわかりません。
2022/03/26 15:10:12
次に大師堂をお参りします。
お参りの仕方は本堂と同じです。
つまり一つのお寺で、ろうそく2本、線香6本、納札2枚、お賽銭2箇所分です。
この後は納経所に行って、納経(いわゆる御朱印)を頂きます。ここでは300円かかります。
納経をいただくと、御影が授与されます。
最後に山門で一礼して、これで1番札所を打ち終えました。
2022/03/26 15:40:12
2番札所極楽寺への遍路ルートは2つあるようです。
県道を進むルートと、一度来た道を戻り石柱門を進むルートです。
僕は後者を進むことにしました。
歩き遍路「こっち」と言う道しるべが至る所にあり、迷うことはありません。
この石柱門は大正11年に作られたそうです。
2022/03/26 15:44:17
霊山寺から約1.5kmで、自転車でノンビリ走って10分位で到着しました。
朱塗りの仁王門が迎えてくれました。
現在の仁王門は、昭和48年9月に完成だそうです。
左右には江戸時代に作られた木彫りの仁王像が安置されています。
2022/03/26 15:58:27
仁王門をくぐると極楽浄土をイメージしたような庭園が広がっつぃます。
石段をのぼった正面に本堂があります。
奈良時代(710年 - 784年)、行基の開基と言われています。
弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地での21日間(三七日)の修法されたそうです。
満願日に阿弥陀如来の姿を感得したため、その姿を刻んで本尊としたと伝えられています。
2022/03/26 15:59:27
本堂の右手に大師堂があり、この大師像は「安産大師」とも呼ばれています。
弘法大師が流産ばかりする夫人に加持祈祷したところ、即座に子宝に恵まれたという由縁によるものです。
木彫りの大師像を奉納し、以後安産祈願の本坊として多大な信者を集めたと言われています。
安産祈願に霊験があるとされています。
2022/03/26 16:30:27
この付近は、お遍路するお寺が近くてありがたいです。
車で回っている方と変わらないくらいで移動できます。
金泉寺は聖武天皇(在位724?49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名されたと伝えられています。
2022/03/26 16:47:07
仁王門をくぐると、赤い橋の「ごくらくばし」があり、正面に本堂があります。
弘仁年間(810年 - 824年)に、弘法大師が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘ったそうです。
その時に、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたといわれています。
その井戸を覗き、姿がはっきり映ると長生きする、といわれています。
2022/03/26 16:48:02
源平合戦のおり、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたと伝えられています。
境内にある「弁慶石」は、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられています。
慈悲深い愛情で見守ってくれる「慈母観音」や安産と子育てに御利益がある「子安大師」も祀られています。
2022/03/26 17:34:17
今日は安楽寺の宿坊に泊まります。
当初の予定では、1番札所霊山寺から5番札所地蔵寺まで打って安楽寺に向かう予定でした。
徳島空港に到着した時点で、風雨が強いので雨宿りしながら直接安楽寺に向かうことを考えていました。
途中で風雨が弱くなり打てる所まで打とうと考え、3番札所金泉寺まで打つことができました。
明日は今日ルートから逸脱した場所まで戻り、4番札所大日寺に向かいます。