2022年03月05日 日本橋から鴻巣宿まで走ってきました

マーカーリスト

写真レポート


東京駅

2022/03/05 08:37:33

東京駅

東京駅の赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計し、1914年に竣工されました。
2003年に丸の内駅舎は国の重要文化財に指定されています。
その駅前広場で自転車を組み立ててスタートします。



日本橋

2022/03/05 08:46:08

日本橋

1603年(慶長8年)、徳川家康による全国道路整備計画に従って、木製の初代「日本橋」が架けられたのが架橋の始まりです。
その後、五街道の起点として、江戸の町でもっとも賑わう場所として、その発展を見届けてきました。
葛飾北斎の「富嶽三十六景 江戸日本橋」に代表されるよう、浮世絵にも多く描かれています。



日本橋

2022/03/05 08:48:03

日本橋

火事が多い江戸では幕末までに「日本橋」も幾度となく焼け落ちています。
明治維新までに全焼、半焼を合わせて10回の焼失があったとされています。
明治初期には肥後の石工・橋本勘五郎によって石造りの橋が架けられました。
1911年(明治44年)に、花崗岩でできた西洋風の二連アーチ橋が現存する19代目の橋として架けられました。



神田明神

2022/03/05 09:05:58

神田明神

神田明神は天平22(730年)に大手町の将門塚周辺)に創建されました。
江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社になりました。
元和2年(1616年)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座しました。
神田祭を行う神社として知られています。



銭形平次の碑

2022/03/05 09:21:28

銭形平次の碑

神田明神の境内には、銭形平次の碑がありました。
テレビドラマ「『銭形平次」は、野村胡堂の小説「銭形平次捕物控」です。
主人公の銭形平次こと岡っ引の平次は、神田明神下に住むという設定だったそうです。
銭形平次の碑は、1970年(昭和45年)、有志の作家と出版社とが発起人となって明神下を見下ろす場所に建立されたものだそうです。



東京大学赤門

2022/03/05 09:36:48

東京大学赤門

赤門として知られているこの門は、元加賀藩上屋敷の御住居表御門だったそうです。。
加賀藩13代藩主前田斉泰は、文政10年(1827年)に11代将軍徳川家斉の娘の溶姫を正室に迎えました。
その際に建立された御守殿門です。
国の重要文化財に指定されてます。



とげぬき地蔵

2022/03/05 10:01:13

とげぬき地蔵

「おばあちゃんの原宿」、巣鴨にあるお寺で、正式には高岩寺と言います。
慶長元年(1596年)に湯島に開かれ、明治24年(1891年)に移転してきました。
江戸時代には無かったんですね。
とげぬき地蔵にお参りすると病気や怪我の治癒、改善に御利益があるといわれています。



板橋宿

2022/03/05 10:26:43

板橋宿

都電と埼京線の踏切を越えて(東京の真ん中に踏切が2つも)進みます。
国道17号に突き当り、規格の信号で国道を横断すると板橋宿に到着します。
江戸時代もこの付近が板橋宿の江戸側の入口だったのでしょうか。



板橋宿案内板

2022/03/05 10:28:08

板橋宿案内板

板橋宿は中山道69次で江戸から最初の宿場で、川越街道の起点でもあります。
板橋宿不動通りにある公園には、案内板がありました。
ベンチもあるので、休憩するのに良いと思います。



板橋宿本陣跡

2022/03/05 10:34:48

板橋宿本陣跡

板橋宿は江戸四宿の一つとして栄えていたそうです。
宿並は上宿、仲宿、平尾宿の三宿で構成されてて、本陣は仲宿にありました。
板橋宿は江戸から近いことから、主に休憩所として使われていたそうです。



板橋

2022/03/05 10:37:18

板橋

石神井川に「板橋」がかかっています。
この橋は、板橋の地名の由来となったと言われる橋だそうです。
文献などから、鎌倉時代にはすでに地名にもなっていたと考えられています。
江戸時代の「板橋」は、太鼓状の木製の橋で、長さは9間(約16.2m)、幅3間(約5.4m)あったそうです。



清水坂

2022/03/05 10:54:23

清水坂

志村坂上交差点を斜め左に進むと、清水坂があります。
日本橋を出発して、最初の難所と言われた急坂です。
隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と時代とともにその呼び名を変えたそうです。
左右に大きく曲がっているため、中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所だったそうです。



戸田の渡し

2022/03/05 11:21:18

戸田の渡し

荒川には江戸防衛の意から橋は架けらることが出来なかったそうです。
人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得ませんでした。
日本橋を出て最初の宿駅である板橋宿と、次の蕨宿の間にあり、交通の要衝でもありました。
この渡しは、天正年中(1575~91)よりあったとされています。
その重要性は近世を通じて変わらなかったといいます。
明治8年(1875年)に木橋の戸田橋が完成し、「戸田の渡し」が廃止となりました。



蕨宿石碑

2022/03/05 11:49:04

蕨宿石碑

国道17号の錦町1丁目交差点に、蕨宿の石碑がありました。
蕨宿は江戸に近いため素通りの旅人が多かったそうです。
しかし、戸田の渡しの川留めになると、大変賑わったそうです。



蕨宿本陣跡

2022/03/05 11:55:39

蕨宿本陣跡

石碑から斜め右に進むと、蕨宿本陣跡があります。
本陣は二つあり、こちらは「西の本陣」と呼ばれていました。
歴史民俗資料館が併設されていて、本陣「上段の間」が復元されているそうです。
当日はコンサートの準備のようで、閉館していました。



中山道ふれあい広場

2022/03/05 12:00:14

中山道ふれあい広場

この広場は蕨宿の京口にあたるそうで、木戸を模したモニュメントもありました。
また、火の見櫓のからくり時計もありましたよ。
案内板や当時の壁画もあるので、のんびりするのも良いと思います。



辻の一里塚跡

2022/03/05 12:07:24

辻の一里塚跡

日本橋から5里(約19.6km)目の一里塚ですが、塚自体は無く、公園として整備されていました。
碑の横には弁財天が祀られています。
この付近は湿地帯で通行するのに難儀したため、水難除けに祀られたそうです。



浦和宿石碑

2022/03/05 12:24:19

浦和宿石碑

調神社を過ぎた大き目の交差点に、浦和宿の石碑がありました。
浦和宿の江戸口に当たり、現在は浦和駅の西口です。



浦和宿本陣跡

2022/03/05 12:35:04

浦和宿本陣跡

仲町交差点から少し脇に入った所の仲町公園に、本陣跡がありました。
明治天皇行在所址碑がありました。
浦和宿は、本陣1、脇本陣3、旅籠15などで、下宿、中宿、上宿で構成されていました。
江戸に近かったため、旅籠は少なく規模は小さかったそうです。



大宮宿跡付近

2022/03/05 13:06:49

大宮宿跡付近

大宮宿本陣は高島屋付近にあったそうです。
しかし、案内板や石碑など、大宮宿があったことがわかるような物はありませんでした。
大宮宿は氷川神社の門前町として発達したそうです。
本陣1、脇本陣9、旅籠25軒であったそうです。



上尾宿案内板

2022/03/05 13:58:44

上尾宿案内板

上尾駅東口交差点の手前に、上尾宿の案内板がありました。
上尾宿は後北条時代に宿駅として成立していたそうです。
江戸時代以降の宿場は慶長7年(1603年)以降に整備されたそうです。



上尾宿碑

2022/03/05 14:05:59

上尾宿碑

京口に当たる場所だそうです。
上尾宿は江戸を出発してから約10里にあり、旅人の一泊目にあたり大いに賑わっていたそうです。
近くには川越や岩槻があり、近隣の遊興地で飯盛旅籠が多かったそうです。
本陣1、脇本陣3、旅籠は41軒あったそうです。



桶川宿本陣跡

2022/03/05 14:23:19

桶川宿本陣跡

桶川宿本陣は、尾張・紀州・水戸の御三家などが利用されています。
文久元年(1861年)の皇女和宮下向のときには、和宮の宿泊所となったことでも有名です。
明治11年(1878)の明治天皇御巡幸の際には行在所にもなりました。
埼玉県内の中山道筋では、唯一現存する本陣遺構です。
一般公開もされているようですが、この日は非公開日でした。



木戸址

2022/03/05 14:29:59

木戸址

この辺りが桶川宿の京口になるようです。
桶川宿は本陣1、脇本陣2、旅籠36軒で構成されていたそうです。
紅花や藍の栽培が盛んで、京や江戸に送られていたそうです。



北本宿石碑

2022/03/05 14:45:49

北本宿石碑

北本のもととなる街並みがつくれたのは江戸時代初期に本宿村が中山道の宿駅として整えられたのが始まりだそうです。
中山道が整備された頃には、宿駅は鴻巣に移されてしまいます。
その後は立場となり、間の宿として賑わったそうです。



鴻巣宿加宿碑

2022/03/05 15:04:04

鴻巣宿加宿碑

この付近は上谷村新田として開発されていきます。
やがて家並みが宿へ続き、茶屋や髪結いなどが現れ、鴻巣宿の加宿として発展しました。
加宿とは、人馬を出しにくい小さな宿駅で近隣の村を宿場として加えることです。



鴻巣本陣跡

2022/03/05 15:12:09

鴻巣本陣跡

鴻巣宿は慶長7年(1602年)に本宿村から宿駅を移してできた宿場です。
宿場内の3か所の市場では、交代で市が立ち大いに賑わったそうです。
本陣1、脇本陣1、旅籠58軒で構成されていました。



鴻神社

2022/03/05 15:16:54

鴻神社

子授け(子宝)・安産・厄除け・縁結びにご利益があると言われています。
かつてこの地にやってきたと言われている、夫婦のこうのとりの伝説があります。



鴻巣駅

2022/03/05 15:34:24

鴻巣駅

今回のゴールの鴻巣駅に到着しました.
3か月振りの自転車だったので、キツイ所は無いのに疲れました。
自転車を分解している時に腰まで痛くなるほどです。

次回は鴻巣宿から京に向けて進みます。
当然、何回にも分けてですが。