2021年11月28日 聖徳太子御廟や金剛寺に寄ってきました

マーカーリスト

写真レポート


河内松原駅

2021/11/28 08:54:40

河内松原駅

昨日は河内松原駅近くのホテルに泊まりました。
河内松原駅は近鉄南大阪線の駅で、(大正11年)1922年に大阪鉄道の道明寺-布忍の延伸に伴い開業しました。
その後の合併や統合で、昭和19年(1944年)に近鉄南大阪線の駅となりました。



近鉄南大阪線

2021/11/28 09:40:16

近鉄南大阪線

近鉄の大阪阿部野橋行きの電車が通過していきました。
近鉄南大阪線は、大阪阿部野橋駅から橿原神宮前駅までを結んでいます。
南河内地域の通勤通学や橿原、飛鳥、吉野方面への観光の足となっています。



石川河川敷

2021/11/28 10:00:06

石川河川敷

大国橋を渡ると、石川の河川敷に遊歩道がありました。
雑草が覆い茂り、見晴らしは良くありません。
そして、この先行き止りでした。



叡福寺

2021/11/28 10:20:11

叡福寺

境内に聖徳太子御廟を擁する叡福寺は、四天王寺、法隆寺とならんで、聖徳太子信仰の中核となった寺院です。
叡福寺は、太子建立の四天王寺や、下の太子(大聖勝軍寺)、中の太子(野中寺)と共に、太子信仰の霊場として栄えました。
推古天皇30年(622年)に聖徳太子はが49歳で亡くなったと伝わっています。
聖徳太子が亡くなった後、推古天皇より方六町の地を賜り、霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりだそうです。



叡福寺 宝塔

2021/11/28 10:26:32

叡福寺 宝塔

天正2年(1574年)に織田信長の兵火により堂塔の全てを失いました。
慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により聖霊殿が再建されたのをはじめ、江戸中期にわたって宝塔、金堂などの廟前伽藍が再興されました。
現在の宝塔は承応元年(1652年)に再建されたもので、昭和52年(1977年)に国の重要文化財に指定されています。
本尊は東側に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西側に金剛界の大日如来が安置されています。
また、4本の柱には四天王の像が描かれています。



叡福寺 金堂

2021/11/28 10:30:36

叡福寺 金堂

織田信長の兵火で失い、享保17年(1732年)に再建あれたものです。
本尊は高さ90mの如意輪観音の坐像だそうです。
聖徳太子の本地が観世音菩薩であるという平安朝以来の信仰に基づいていると言われています。



聖徳太子御廟

2021/11/28 10:38:13

聖徳太子御廟

南大門から入りまっすぐ進むと、正面に聖徳太子が眠っている聖徳太子御廟があります。
直径54・3m、高さ7.2mの円墳です。
聖徳太子が亡くなる前日に亡くなられた妃と、2か月前に亡くなった母が共に埋葬されていて「三骨一廟」と言われています。
その霊廟守護のため造営されたのが叡福寺で、河内三太子の一つ「上之太子」と言われています。



西方院 本堂

2021/11/28 11:04:56

西方院 本堂

聖徳太子が亡くなった後に出家した三人の侍女、善信尼、禅蔵尼、恵善尼により、聖徳太子廟がある叡福寺の門前に建されたと言われています。
創建された時の寺号は法楽寺で、寛永16年(1639年)に衰退し荒廃していた寺を蓮誉寿正尼が中興し、名称を西方院と改めたそうです。
聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わっています。



西方院 観音堂

2021/11/28 10:56:56

西方院 観音堂

観音堂の裏手には、立派な銀杏の木が綺麗に色づいていました。
高さは約20m、太さ約3.5mの巨木です。
観音堂は新西国三十三箇所第8番札所で、本尊は恵心僧都作との伝わる十一面観音です。



金山古墳

2021/11/28 11:49:21

金山古墳

金山古墳は大小二つの円丘を合わせた双円墳という珍しい形で、6世紀末から7世紀初頭の古墳だそうです。
北丘は2段に、南丘は3段に築かれ、墳丘の周囲には掘がめぐらされています。
各段のあいだと墳頂部の平坦面には石が敷かれていました。
石室や石棺の中はすでに盗掘されていて、わずかにガラス玉、耳輪、馬具、鉄刀、土器の破片が出土しただけだそうです。
古墳の周辺は史跡金山古墳公園として整備されています。



瀧谷不動尊

2021/11/28 12:31:56

瀧谷不動尊

弘仁12年(821年)に弘法大師が国家の安全と国民の幸せを祈るために開かれた道場です。
本尊不動明王、脇侍の矜羯羅童子、制?迦童子の御三体は、大師一刀三礼の霊像として敬われています。
本尊、脇侍は国の重要文化財に指定されています。
古くから祈願の道場として、本堂では護摩祈祷が行われています。
地域の方から「瀧谷のお不動さん」と親しまれ、毎月28日の縁日には露店も出て参拝者で賑わいます。
今日はその28日で、不動尊に続く府道は進入禁止の交通規制があったので、自転車を押して進みました。



瀧谷不動尊

2021/11/28 12:39:16

瀧谷不動尊

日本三不動の一つと言われ、目の病気にご利益があるとされることから「芽の出るお不動様」と言われています。
また、交通安全や厄除けなどで不思議なご利益があるそうです。
車だけでなく、自転車やオートバイもお祈りしてくれるそうです。



金剛寺 楼門

2021/11/28 14:56:07

金剛寺 楼門

金剛寺は奈良時代の天平年間(729年~748年)に聖武天皇の勅願によって行基が開いたと言われて、弘法大師も修行をしたそうです。
高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれています。
南北朝時代(1336年~1392年)には、南朝の最重要拠点の一つとして、枢要の地位にあったそうです。
南朝第2代後村上天皇の行宮(仮の皇居)が置かれたこともあるそうです。
金剛寺は、5件の国宝と29件の重要文化財を保有している歴史ある寺院です。



金剛寺 金堂

2021/11/28 15:00:05

金剛寺 金堂

金堂は元応2年(1320年)に再建され、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼により大修理されています。
金堂内には中央に本尊の金剛界大日如来坐像、右側に不動明王坐像、左側に降三世明王坐像が安置されています。
平成大修理の大規模調査で、胎内にあった墨書から、不動明王坐像は行快の作で、天福2年(1234年に完成したことがわかりました。
また、3体がそろうまで約50年という歳月がかかっていたことも判明し、平成29年(2017年)に国宝に指定されました。
また、金堂は国の重要文化財に指定されています。



金剛寺 多宝塔

2021/11/28 15:13:58

金剛寺 多宝塔

多宝塔は平安時代後期の建立で、日本最古の多宝塔と言われています。
初層内部には、大日如来が安置され、極彩色の仏の世界が描かれているそうです。
この多宝塔も国の重要文化財に指定されています。