2019年07月12日 帯広駅から幾寅駅まで走りました

マーカーリスト

写真レポート


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狩勝ポッポの道

2019/07/12 13:41:01

狩勝ポッポの道

狩勝ポッポの道は、新得から狩勝高原までの10kmにおよぶ旧狩勝線跡地にできた、歩行者や自転車だけでなく馬車のための道です。
旧狩勝線は、明治40年(1907年)から国鉄根室本線として、北海道の東西を結ぶ大動脈として使われました。
昭和41年(1966年)の新狩勝線完成後は、車両の脱線原因を研究する実験線として使われていました。
この「狩勝実験線」は,日本の鉄道技術向上に貢献し、瀬戸大橋の設計にまで影響を与えた実験などが行なわれました。



無線鉄塔

2019/07/12 14:01:56

無線鉄塔

旧狩勝線が廃線になった翌昭和41年(1967年)、国鉄は旧狩勝線新内・新得間11kmを脱線の実験線に転用しました。
当時多発していた貨物列車の脱線事故の研究のために。
昭和54年(1979年)までの間に、競合脱線解明実験、列車火災実験、ボギー貨車脱線実験等数多くの実験が行われています。
この実験の際に無線操縦をするために作られた無線鉄塔が残っています。



小笹川橋梁

2019/07/12 14:15:11

小笹川橋梁

下新内川を渡る高さ約7m,アーチ径4.6mの煉瓦造のアーチ橋です。
水面からアーチ基部までは高さ約2.6m,奥行きは約9mのものです。
小笹川橋梁の付近から狩勝峠に向かう1000分の25の急勾配がはじまり,高さ7mのほどの築堤が続いています。
また,切石が積まれた擁壁も現存しており,建設当時の原形が非常に良く維持されています。
アーチ部分は6層になっています。
2003年に土木学会選奨土木遺産に選ばれています。



小笹川橋梁

2019/07/12 14:15:21

小笹川橋梁

小笹川橋梁には、ここに自転車を置いて歩いて向かいます。
すぐ横には国道38号線も走っています。



急行「まりも号」事件現場

2019/07/12 14:26:46

急行「まりも号」事件現場

昭和26年(1951年)に釧路駅発、函館駅行きの急行列車「まりも」号が上新内橋梁の先で脱線させられた事件現場です。
何者かがレールを故意に4cmずらしたのが事件の原因と言われています。
専門的な知識、技術が要求される犯行であり、多くの国鉄及び労働組合関係者が捜査対象となりました。
しかし、有力な物的証拠や目撃証言等は得られず、詳細は解明されないまま未解決事件となりました。



新内駅

2019/07/12 14:56:11

新内駅

駅跡に59672号蒸気機関車と20系寝台車を設置してSLホテルが運営されていました。
20系寝台車のうち2両はA寝台車で、保存されているA寝台はこの2両しかないそうです。
駅構内の2番線と3番線跡に作業用の軌道自転車を利用したトロッコ鉄道が設置されています。



新内駅

2019/07/12 15:05:21

新内駅

新内駅は明治40年(1907年)に官設鉄道十勝線の落合・帯広間が開通した際に新内信号所として開設されました。
落合駅から狩勝信号場を経て新内駅までは、狩勝峠をこえていたため景色がよく日本三大車窓の一つとされていました。
昭和41年(1966年)に新狩勝線が開業したため、新内駅も廃止されました。



大カーブ

2019/07/12 15:27:12

大カーブ

大築堤(延長480m・法長60m)と長大曲線(延長770m)で通称大カーブと呼ばれる馬蹄形状のカーブです。
大カーブは、線路を曲線で長くして勾配を緩くしましたが、それでも25/1000という急勾配です。
曲線半径も181mの急曲線であり、そのため脱線防止レールも敷設されていました。



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