2016年09月03日 岡村島、大下島、小大下島に行ってきました

マーカーリスト

写真レポート


恵美須神社 鳥居

2016/09/03 08:27:22

恵美須神社 鳥居

恵美須神社の鳥居も瀬戸内海に面しています。
道路を挟んで、恵美須神社があります。
江戸時代の記録では夜に光る物が海にあったので、引き揚げると蛭子神像だったことが創建の由来とされています。



平羅橋

2016/09/03 08:37:12

平羅橋

平羅橋は、安芸灘諸島連絡架橋の本州から5番目の橋で、無人島の平羅島と大崎下島を結んでいます。
安芸灘諸島連絡架橋の中で最も短い長さ約98mの橋で、唯一のコンクリート橋でもあります。
桁下高さは約5m程度と低く、航行可能な船舶は漁業などの小型船に限られています。



中の瀬戸大橋

2016/09/03 08:41:12

中の瀬戸大橋

中の瀬戸大橋は、安芸灘諸島連絡架橋の本州から6番目の橋で、共に無人島の中ノ島と平羅島を結んでいます。
長さ約251mのアーチ橋です。
大崎下島と岡村島の間にある平羅橋、中の瀬戸大橋と岡村大橋の3橋含めた大崎下島広域農道は「安芸灘オレンジライン」の愛称があります。



岡村大橋

2016/09/03 08:45:07

岡村大橋

岡村大橋は、安芸灘諸島連絡架橋の本州から7番目の橋で、愛媛県の岡村島と広島県の平羅島を結んでいます。
日本で唯一の海上で県境を跨ぐ農道橋です。
長さ約228mのアーチ橋です。
アニメーション映画「ももへの手紙」に岡村大橋と一つ前の橋の中の瀬戸大橋の2つの橋がモデルとなったアーチ橋が登場しています。



愛媛県境

2016/09/03 08:46:32

愛媛県境

日本で唯一の海に架かる農道の県境を越えて愛媛県に入りました。
岡村島から東側の愛媛県の島には、橋で繋がっていません。



岡村島北側

2016/09/03 08:52:27

岡村島北側

岡村島を一周する道路があるので、時計回りに走ってきました。
北側の道路は、車の行き違いもできそうもありませんでした。
岡村島は面積は約3.17平方キロメートルで、周囲は約11kmの島です。
レモンなどの柑橘類の栽培や、漁業が盛んです。



岡村島東側

2016/09/03 09:05:12

岡村島東側

岡村島の東側からは、小大下島と大下島を見ることができます。
そして、少し遠めには、大三島などのしまなみ海道の島々を見ることができました。



岡村港

2016/09/03 09:11:42

岡村港

岡村港からは、今治市営のフェリーと旅客船が小大下島と大下島を経由して今治まで運航しています。
旅客船にも自転車を載せることができます。
また、大三島ブルーラインが大三島の宗方港を経由して大崎上島の木江港まで運航しています。
フェリーと旅客船を上手く使うと、小大下島と大下島に行けるので、二つの島も走ることにしました。



大下港

2016/09/03 10:00:18

大下港

先に大下島に行ってきました。
岡村港からフェリーで25分程で到着しました。
せとうちサイクルーズPASSも使うことができます。
一度に運べる自転車の台数も決められています。



大下島北側

2016/09/03 10:08:28

大下島北側

大下島の北側からは、大崎上島がはっきりと見ることができます。
大下島は、面積が約1.5平方キロメートルで周囲は約7kmの島です。
島全体が花崗岩で覆われていて、平地は少ない島です。



大下島東側

2016/09/03 10:20:03

大下島東側

無人島の肥島越しに、大三島を見ることができます。
こちらの瀬戸も、かなり急のようで波がザワザワしているのがわかります。



アゴノ鼻灯台

2016/09/03 10:27:13

アゴノ鼻灯台

アゴノ鼻灯台は、大下島の南側に建っていました。
初点灯は1988年(昭和63年)の比較的新しい灯台です。
鳴門海峡・関門海峡と並び、日本三大急潮に数えられる来島海峡を通過する航海の安全を担っています。



大下島灯台

2016/09/03 10:42:33

大下島灯台

大下島灯台は、1894年(明治27)に初点灯はされた、今治市内最古の洋式灯台です。
来島海峡の強潮流を避けて航海するための迂回航路の指標の一つとして建設された白色八角形で石造の灯台です。
灯台近くの「大下みんなの広場」には、森繁久弥氏の詩碑もありました。
大下港から歩いても10分程で着くことができます。



早津佐神社

2016/09/03 10:50:43

早津佐神社

早津佐神社は779年(宝亀10年)に、勅令により越智七島に鎮守のため一島一社を創建した一つと伝わっています。
猿田彦大神を主祭神とし、大下港に面しています。
境内にはエノキやイチョウの大木もあり、背後の斜面には多くの種類の木が生育しています。



大崎上島を望む

2016/09/03 11:13:28

大崎上島を望む

次のフェリーまで1時間以上あったので、大下島をもう一周してきました。
少しアップダウンがありますが、先ほど走ったルートの内側にも一周できる道がありました。
このコースの頂付近からは、大崎上島を見ることができました。
息も上がっていたので、島を見ながら休憩していました。



四国を望む

2016/09/03 11:36:53

四国を望む

アップダウンを繰り返し、島の南側まで走ってきました。
狭い道なので、スピードには注意しながら走りました。
大下島の南側からは、しまなみ海道に架かる橋や、今治市内を眺めることができました。



大下小学校跡

2016/09/03 11:49:23

大下小学校跡

大下島には小学校や中学校が無く、スクールボートで岡村島まで通うするそうです。
大下小学校は1880年(明治13年)に岡村学校大下分校として開校しました。
1997年度(平成9年度)に休校になり、2002年度(平成14年度)に閉校されました。
閉校後は、木下地域住民学習センターとして使われています。



小大下港

2016/09/03 13:06:01

小大下港

行きに乗ったフェリーで小大下島に向かいました。
大下島からは約10分で到着します。
フェリーの乗組員の方も、同じ方でした。



石粉の工場跡

2016/09/03 13:12:36

石粉の工場跡

小大下島は面積約0.9平方キロメートル、周囲約3.7kmの瀬戸内海のほぼ中央にある島です。
島の大部分が石灰岩で形成され、かつては盛んに採掘が行われていました。
石灰石をすりつぶして粉にしていた工場跡を見ることができます。。



海老の養殖場跡

2016/09/03 13:19:11

海老の養殖場跡

小大小島は、海老の養殖を行っていたそうです。
この池も石灰石の採掘跡なのでしょうか。
水の色がエメラルド色の綺麗な水面です。



水源地

2016/09/03 13:25:06

水源地

石灰石を露天掘りした跡に水が湧いて出来た大きな水源地です。
その深さは海面以下まで達するそうです。
10万トンの水が確保されており、海底水道管を経由して隣の岡村島の各家庭に給水されています。



石灰積出桟橋跡

2016/09/03 13:32:51

石灰積出桟橋跡

小大下島の東南の行き止まりには、石灰積出桟橋跡がありました。
海をはさんで対岸に見える岡村島が見える場所に残っていました。
石灰石を採掘していた時は、多くの人で賑やかだったんでしょうね。



小大下島港

2016/09/03 13:47:41

小大下島港

小大下島を一周する道はありませんでした。
小大下島は、かつては無人島で、明治初期には石灰石の採掘が本格化したそうです。
第一世界大戦当時には、多くの大手メーカーの鉱業所が立地し、大変な賑わいみせていたそうです。
この賑わいは昭和30年頃まで続いたそうです。
鉱業所は閉鎖され、現在は漁業とミカン栽培が中心の静かな島です。



姫子島神社

2016/09/03 16:06:46

姫子島神社

姫子島神社は779年(宝亀10年)に、勅令により越智七島に鎮守のため一島一社を創建した一つと伝わっています。
岡村島は、古くは姫子島とも呼ばれていました。
かつて岡村島には、比目木村(ひめこむら)神社と血島(智島)神社があったそうです。
しかし、後に合併して社名を姫子島神社としたそうです。



観音崎

2016/09/03 16:12:46

観音崎

観音崎は古くは牛渚(牛ヶ崎)と呼ばれ、沖合いは常に風波が激しく航行困難の場所であったそうです。
大同年間に弘法大師はこれを憐れんで大悲の観音の尊像を刻んで岩間に安置し、海上の守りとしました。
そのため、人々は観音崎と呼ぶようになったと伝わっています。
遊歩道も整備され、岬の先端付近まで行くことができます。



岡村大橋

2016/09/03 16:23:16

岡村大橋

岡村島を一周して、再び岡村大橋、中の瀬戸大橋、平羅橋で大崎下島に戻ります。
岡村大橋が架かる瀬戸は、人待瀬戸と呼ばれています。
この場所で人との待ち合わせに活用してもらいたいという気持ちを込めて名付けられました。



石の高燈籠

2016/09/03 16:47:16

石の高燈籠

住吉神社の北側にありました。
映画「ドライブマイカー」の撮影地でも有名です。
江戸から明治、大正昭和初期に建てられた貴重な建物があります。
周辺には歴史的建造物も多く残っており、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。