2016年08月05日 稚内駅から日本最北端の地へ

マーカーリスト

写真レポート


稚内駅

2016/08/05 13:58:48

稚内駅

稚内駅はJR北海道宗谷本線の駅で、日本の鉄道の最北端の駅です。
稚内駅は1928年(昭和3年に、宗谷線が稚内(現在の南稚内)から延伸に伴い稚内港駅として開業しました。
当時は、南樺太の大泊へ向かう鉄道連絡船「稚泊航路」を利用する客で賑わいを見せていたそうです。
1939年(昭和14年)に稚内港駅を稚内駅に、稚内駅を南稚内駅に改称されました。



声問浜

2016/08/05 14:34:28

声問浜

かつてはJR天北線が走っていた辺りで、近くには声問駅がありました。
付近には声問海水浴場があって、こんな寒い所で泳ぐのと思ったほどでした。
天北線は1989年(平成元年)に廃止されました。



富磯漁港

2016/08/05 15:09:28

富磯漁港

富磯漁港は、海底が変化に富んでいるのが特徴で、港の内側外側ともに海底に砂地、飛び根などが混在しています。
その分魚種が豊富だそうで、多くの種類の魚が取れるそうです。
近くの川の富磯川には、サケも遡上するそうです。



利尻富士

2016/08/05 15:18:53

利尻富士

宗谷湾とノシャップ岬越しに、利尻富士が見えました。
利尻富士の正式名称は利尻山で、日本百名山の中では最北に位置しています。
標高1721mの整った円錐形の独立峰で、富士山に似ていることから利尻富士とも呼ばれています。



間宮林蔵渡樺出港の地

2016/08/05 15:42:48

間宮林蔵渡樺出港の地

宗谷岬から西にある第2清浜地区に、「間宮林蔵渡樺出港の地」があります。
1808年(文化5年)年4月13日、幕府から命を受けた間宮林蔵は、松前奉行支配調役・松田伝十郎とともに第1次樺太探検に出発しました。
当時、間宮林蔵は29歳の若さだったそうです。
このとき、林蔵は郷里から持ってきた墓石を海岸に建て、探検への覚悟のほどを示したといわれています。
遠くに樺太を見ることができました。



宗谷岬

2016/08/05 15:53:53

宗谷岬

日本の本土における最北端の地であり、一般人が通常訪れることのできる最北端の地です。
日本最北端を象徴するモニュメントとして「日本最北端の地の碑」があります。
碑は北極星の一陵をかたどった三角錐の形で、塔の中央にある「N」は北、台座の円形は「平和と協調」を表しています。
自転車と一緒に写真を撮ろうとしたら、多くの観光客の方が順番を譲ってくれました。
近くのお土産屋さんで、「日本最北端の地到達証明書」を購入しました。



宗谷岬灯台

2016/08/05 16:18:48

宗谷岬灯台

宗谷岬の南にある高台に、紅白のツートンカラーが鮮やかな宗谷岬灯台があります。
北海道内では根室の納沙布岬灯台、小樽の日和山灯台に次いで、3番目に建てられ、1885年(明治18年)に初点灯されました。
開所当時は、石油を光源に使っていたそうです。
灯台の高さは約17m、海抜約40mにあり、宗谷海峡を航行する船舶の重要な目標物となっています。



旧海軍望楼

2016/08/05 16:26:53

旧海軍望楼

帝政ロシアとの国交が悪化し始めた1902年(明治35年)に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したものです。
当時、最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大なことでした。
日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりました。
その後も、無線通信基地や、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用されました。



宗谷丘陵

2016/08/05 16:47:38

宗谷丘陵

なだらかな地形にある宗谷丘陵は、宗谷岬の南に位置します。
この地帯の丘陵は、約1万年前の氷河期に凍結と融解を繰り返してできたと言われています。
長い年月をかけて土の中の水分だけで地形が変化すると考えると自然の神秘を感じます。
宗谷丘陵は、2004年(平成16年)に北海道遺産に制定されました。



宗谷丘陵

2016/08/05 17:05:23

宗谷丘陵

お土産屋さんの駐車場で、少し休憩していました。
宗谷岬灯台の先には、宗谷海峡と樺太を見ることができます。
吹き抜ける風が、心地よいです。
今日は宗谷岬近くに泊まります。