2016年06月03日 両津港から相川まで走りました

マーカーリスト

写真レポート


新潟駅

2016/06/03 07:58:18

新潟駅

今回の自転車旅は佐渡島の北半分を走ることです。
前回、南半分を走ったので、残りを走ってきます。
昨日の新幹線で新潟入りして、新潟駅近くに泊まりました。
今朝、自転車を新潟駅前で組み立てて出発します。



萬代橋

2016/06/03 08:10:08

萬代橋

日本一の大河信濃川に架かる萬代橋は、新潟市の発展とともにあゆみ続け、いつの時代も街のシンボルとして親しまれてきました。
頑丈な石づくりの萬代橋は美しい連続アーチが特徴です。
花崗岩や御影石で化粧が施され、風格を漂わせながら洗練された雰囲気を放っています。
1929年(昭和4年)に架け替えられた現在の三代目萬代橋は、国の重要文化財に指定されています。
国道にかかる橋梁で重要文化財に指定されたのは、東京の日本橋に次いで二番目になります。



新潟港

2016/06/03 08:17:03

新潟港

新潟港は、港湾法上の国際拠点港湾、港則法上の特定港に指定されているほか、中核国際港湾にも指定されています。
江戸時代には北前船や日米修好通商条約によって開港五港の一つとなるなど、歴史上においても日本海側の重要港として栄えてきました。
国際海上コンテナ、液化天然ガスの拠点港に指定されているほか、本州日本海側最大のコンテナターミナルが整備されています。
国内の定期旅客船は、新潟-両津(佐渡)、新潟-小樽、敦賀-新潟-秋田-苫小牧の3航路が運航されています。
また、2006年(平成18年)までは、不定期ながら北朝鮮から「万景峰号」が入港していました。



両津港

2016/06/03 11:55:07

両津港

両津港は佐渡の東北に深く入り込んだ両津湾の最奥部に位置し、古くは夷港と呼ばれ商・漁港として栄えてきました。
1868年(明治元年)に新潟港が開港した際に、新潟港の緊急避難などのための補助港となりました。
その後、1951年(昭和26年)に重要港湾に指定されています。
新潟からはフェリーで2時間30分、ジェットフォイルで1時間10分程で着くことができます。



佐渡空港

2016/06/03 12:24:47

佐渡空港

佐渡空港は、国仲平野の北東部に位置し、滑走路の末端は加茂湖に接しています。
1958年(昭和33年)に新潟空港の場外飛行場として開港しました。
1959年(昭和34年)に新潟-佐渡線が富士空港により開設されました。
その後、いくつかの運航会社が路線を運航していましたが、2014年(平成26年)より運休しています。



佐和田海水浴場

2016/06/03 13:17:02

佐和田海水浴場

河原田商店街から歩いてすぐの海水浴場で、真野湾にいだかれた波穏やかな遠浅の海岸です。
佐渡島中央エリアに位置し、シーズンには多くの人々で賑わいます。
海水浴シーズン前だったのか、海岸は海藻で埋もれていました。



台ケ鼻

2016/06/03 14:11:32

台ケ鼻

台ケ鼻は、相川地区二見の二見半島の東南端に突き出た丘陵先端部の岬です。
ここ台ヶ鼻は岩礁・地形・植物の景観にも優れ、真野湾を隔てた対岸の海岸線や日本海の眺望が美しい場所です。
台ケ鼻の稜線上部には、6世紀中期と推定される台ヶ鼻古墳があります。



長手岬

2016/06/03 14:31:28

長手岬

七浦海岸の中央に位置する岬で、平らな岩場が続く景勝地です。
隆起海岸の特徴を持つ岬一帯は「佐渡弥彦米山国定公園」に指定されています。
渚には奇岩が点在し、変化のある海岸美を形成されています。
磯遊び、海水浴、シュノーケリング、釣りに人気のスポットで、大海原に沈む夕日の素晴らしさでも知られています。



夫婦岩

2016/06/03 14:50:53

夫婦岩

佐渡七浦海岸のシンボル夫婦岩です。
「古事記」の国生み神話に由来するとされる大きな二つの岩です。
向かって右が夫の岩で高さ22.6m、左側が妻の岩で高さが23.1mあります。
七浦海岸の波を受けて寄り添うように立ち、縁結びのご利益があると言われます。
国生み神話の伝説として佐渡に伝わる「猫岩」「帆かけ岩」など周辺には岩礁が散在し、自然の造形美を楽しむことができます。



春日崎

2016/06/03 15:13:38

春日崎

七浦海岸の北寄りにある高台の春日崎では、茜色に染まる空と日本海を、高い位置から見渡すことができます。
この春日崎にある古い石灯籠は、江戸時代初期に設置され、海上守護の八大龍王をお祀りしています。
江戸時代から、航海の目印とするための明かりが灯されていたそうです。
民謡「佐渡おけさ」にも、春日崎の夕景の美しさが唄われています。



北沢浮遊選鉱場跡

2016/06/03 15:30:33

北沢浮遊選鉱場跡

相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群が密集しています。
もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功したものです。
戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一」とうたわれました。
国の史跡に指定されています。



佐渡金山

2016/06/03 15:53:13

佐渡金山

佐渡金山は、1601年(慶長6年)に山師3人により開山されたと伝えられています。
1603年(慶長8年)には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。
1989年(平成元年)に資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。
佐渡には金、銀などを産出する55の鉱山があり、400年間に金78トン、銀2,330トンを産出しました。
日本最大の金銀山として国内外の経済に大きな影響を与えました。



佐渡金山

2016/06/03 15:54:38

佐渡金山

佐渡金山には、いくつかの見学コースが設定されています。
僕が回ったのは、宗太夫坑コースと道遊坑コースです。
宗太夫坑コースでは、人形を使って江戸時代の採掘作業を再現しています。
道遊坑コースには、明治期以降の近代化産業遺産群が残っています。
他にもガイドさん付きで回るコースもあるようです。



佐渡奉行所跡

2016/06/03 16:52:11

佐渡奉行所跡

金脈の発見により、佐渡は幕府の直轄地の天領となり、1603年(慶長8年)に相川金銀山のふもとに佐渡奉行所が建てられました。
建物は、火事による焼失と再建を5回繰り返しており、現在の史跡佐渡奉行所跡は、安政6年(1859年)に再建された奉行所を復元しています。
当時の奉行や役人が仕事をしていた建物「御役所」内には、裁判の場であった「御白州」や、金精製に使う鉛板のレプリカがあります。
採掘した鉱石から金銀を取り出す工場「寄勝場」も復元されており、鉱石の選鉱過程を見ることができます。



小川台場跡

2016/06/03 17:14:16

小川台場跡

この台場は半円形で、直線延長約45m、海防のために西の日本海に向かって崖上に構築されています。
1808年(文化5年)に、佐渡奉行所は殿見崎に台場を構築し、異国船の来襲に備えました。
異国船の襲来による実際の交戦はなかったそうです。
幕末期の海防施設の状況を示しており、新潟県内では数少ない全容を完全な姿で留める史跡です。