2016年04月30日 長門市から萩市まで走りました

マーカーリスト

写真レポート


青海島を望む

2016/04/30 08:53:57

青海島を望む

今日は長門市から萩市へ走ります。
国道191号から海岸線を走る県道287号に進路を取りました。
少し進むと、昨日走った青海島を眺めることができました。



県道64号

2016/04/30 09:36:42

県道64号

三隈地区から県道64号で萩市方向に進みました。
海岸線を走るので見晴らしが良いかと思ったのですが、海が見える区間は短かったです。
ガードレールは山口県仕様の、夏みかん色ですね。



三見駅

2016/04/30 10:15:07

三見駅

三見駅はR西日本山陰本線の駅で、1925年(大正14年)の美禰線の長門三隅-萩の延伸に伴い開業しました。
1933年(昭和8年)に三見駅を含む美禰線の一部区間が山陰本線に編入されたことに伴い、山陰本線所属の駅になりました。
木造の駅舎は、1925年(大正14年)の開業当時の駅舎です。



県道64号

2016/04/30 10:45:57

県道64号

二見駅から山陰本線沿いに走りました。
二桁番号の県道ですが、途中からかなり狭くなってきました。
そして海岸側にガードレールがない場所もありました。
風が強かったり波が高かい日は、通行できないでしょうね。



玉江駅

2016/04/30 11:06:07

玉江駅

玉江駅はR西日本山陰本線の駅で、1925年(大正14年)の美禰線の長門三隅-萩の延伸に伴い開業しました。
1933年(昭和8年)に三見駅を含む美禰線の一部区間が山陰本線に編入されたことに伴い、山陰本線所属の駅になりました。
出入口横には、長州藩士で鉄道の開通と発展に尽力し、日本鉄道の父と言われる井上勝の功績を紹介した看板がありました。



萩城跡

2016/04/30 11:16:17

萩城跡

萩城は1604年(慶長9年)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれています。
山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。
本丸には高さ14.4mの五層の天守がありましたが、廃城令によって1874年(明治7年)に天守、矢倉などのは全て解体されてしまいました。
春にはおよそ600本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所となっています。
また、園内には花びらが純白色の珍しい桜・ミドリヨシノが1本あります。
日本では萩でしか見ることのできない貴重な桜で、山口県の天然記念物に指定されています。



志都岐山神社

2016/04/30 11:16:17

志都岐山神社

萩城跡、指月公園内にある神社です。
1878年(明治11年)に周辺地域の有志が発起し、萩城本丸跡に創建されたました。
かつての県社で、毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳の五柱を祭神として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。



萩城 天守閣跡

2016/04/30 11:38:20

萩城 天守閣跡

萩城の天守は5重5階の複合式望楼型天守でした。
天守の北側には付櫓を接続した複合式の縄張りと2重2階の入母屋造の基部に3重3階の望楼を載せた構造で、高さは約21mだったそうです。
これは姫路城の31.5mや松本城の25mと比べると小規模ですが、彦根城や犬山城に比べると大きな天守でした。
指月山山麓の本丸南西部に据えられた天守は、城外(城下町)からは見えなかったそうです。



萩城 東園跡

2016/04/30 11:49:03

萩城 東園跡

東園は、指月公園北東隅にある池の周囲一帯で、二ノ丸内につくられた回遊式の庭園です。
6代藩主毛利宗広が、この地に古くからあった池を浚渫し、庭をつくって東園と成し、高い館を建てて園を総覧できるようにしたそうです。
7代藩主毛利重就が、旧に従いこの地を遊息の地とし、庭内の各所に六景二十勝の名称をつけ、その景観を装飾したといいます。
1925年(大正14年)に復元修理を行いました。
5月にはつつじが咲き、美しい庭園だそうです。



萩城浜

2016/04/30 11:53:28

萩城浜

昭和天皇が皇太子の時代の1926年(大正15年)に、海を展望された場所だそうで、石碑が建っています。
対岸の半島や、日本海に浮かぶ島々を眺めながらノンビリしていました。
海岸まで遊歩道がありました。



旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

2016/04/30 13:01:31

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷で、萩に現存する武家屋敷のなかで最大の大きさを誇ります。
厚狭毛利家は、毛利氏の萩移封後、厚狭に知行地を与えられたことから、厚狭毛利家と呼ばれています。
主屋などは明治維新後に解体されましたが、1856年(安政3年)に建てられた長屋だけが残っています。
国の重要文化財に指定されています。



菊ヶ浜

2016/04/30 13:04:42

菊ヶ浜

萩城跡から萩湾に沿って、浜崎商港まで続く白砂青松の海岸です。
「快水浴場百選」に選ばれていて、夕景も綺麗な人気スポットです。
菊ヶ浜の松原は、古くは阿武の松原として歌にも詠まれています。



萩城 北の総門

2016/04/30 13:12:02

萩城 北の総門

総門は、萩城三の丸と城下町を分ける門です。
北の総門、中の総門、平安古の総門の3か所あり、あわせて大手三ツの門と世慣れていました。
北の総門は、萩城の東側にあたります。
現在の北の総門は2004年(平成16年)に、萩開幕400年を記念して復元されたものです。



萩博物館

2016/04/30 13:15:02

萩博物館

萩博物館は伝統的建造物群保存地区内にあることから、この地区内にあった規模の大きい武家屋敷の特徴にならっているそうです。
萩の歴史や文化発信拠点として、吉田松陰、高杉晋作をはじめ幕末維新関連の実物資料などを展示しています。
2004年(平成16年)の萩開幕400年を記念日に開館しました。



菊屋横町

2016/04/30 14:14:27

菊屋横町

旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。
現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。
御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、城下町にある3本の横町にはそれぞれの名が残されています。
菊屋横町には、藩の豪商の菊屋家をはじめ、高杉晋作や第26代総理大臣の田中義一の誕生地があります。



木戸孝允旧宅

2016/04/30 14:21:07

木戸孝允旧宅

江戸屋横町にある、桂小五郎の名で知られる木戸孝允の旧宅です。
木戸孝允は、明治維新の三傑として西郷隆盛、大久保利通と並び評されている、長州藩の実質的指導者です。
1852年(嘉永5年)に江戸に出るまでは、20年間をこの家で過ごしました。
掛け軸や写真が展示されています。



東萩駅

2016/04/30 14:37:37

東萩駅

東萩駅ははR西日本山陰本線の駅で、1925年(大正14年)に美禰線が萩から延伸し、終着として開業しました。
1933年(昭和8年)に東萩駅を含む美禰線の一部区間が山陰本線に編入されたことに伴い、山陰本線所属の駅になりました。
萩市の代表駅であ、市内の中心部に近い駅です。
かつては、特急いそかぜも停車していました。