2015/10/30 10:20:06
JR西日本の山口線の駅で、特急「スーパーおき」も停車します。
1918年(大正7年)に、山口線が篠目駅から延伸した際の終着駅として開業しました。
特急が停車するのに無人駅で、乗車券は近くの商店で買うようです。
2015/10/30 10:46:56
1922年(大正11年)に 山口線の篠目駅と三谷駅間に、仮停車場として開設れたのが歴史です。
利用客は少ないようですが、「SLやまぐち号」の停車駅です。
駅から長門峡のハイキングコースがあります。
2015/10/30 11:33:58
山口県萩市と山口市阿東篠目を結ぶ県道です。
いくつかのカーブがありますが、快適に走ることができます。
2015/10/30 12:08:40
県道11号の木和田山を貫く全長480mのトンネルです。
すぐ横には旧道のトンネルがありましたが、フェンスで覆われていました。
2015/10/30 12:32:40
県道11号の山口市(旧阿東町)と萩市の市境です。
看板にもあるように、この付近ではメロンやトマトの産地でもあるようです。
2015/10/30 13:18:10
巨大なガラス張りの屋根が目を引く道の駅です。
冬になると温室として利用され、シクラメンなどの販売を行うそうです。
2015/10/30 14:12:44
幕末の思想家・教育者である吉田松陰、伊藤博文、山県有朋はじめ松下村塾の生徒を祭神としています。
学問の神として尊敬を集める神社で、正月には多くの初詣客が訪れます。
2015/10/30 14:19:19
江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の萩市)に存在した私塾です。
松陰が同塾で指導した塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出しています。
松陰神社の境内には幕末当時の塾舎が現存しています。
2015年(平成27年)に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に正式登録されました。
2015/10/30 14:38:34
1890年(明治23年)に松陰の実家の邸内に小祠を建て、松陰が愛用していた赤間硯と書簡を神体として祀ったのが始まりです。
現在の社殿は1955年(昭和30年)に新しく建てられたものです。
境内には松陰幽囚の旧宅・吉田松陰歴史館などがあります。
2009年(平成21年)に松陰没後150年を記念し、宝物殿『至誠館』が開館しています。
2015/10/30 14:43:24
伊藤博文旧宅に隣接する別邸です。
伊藤博文が東京府下荏原郡大井村(現在の東京都品川区)に建てた広大な別邸の一部を移築したものです。
大広間の鏡天井や離れ座敷の節天井など非常に意匠に優れていたものであったそうです。
2015/10/30 14:49:09
伊藤博文は、1841年(天保12年)に熊毛郡束荷村の農家に生まれました。
松下村塾に入り「なかなか周旋家になりそうな」と松陰の評価を得ています。
1863年(文久3年)に英国に密航留学しました。
明治新政府では参与、兵庫県令などを歴任し、条約改正のため、岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪しています。
帰国後は参議、工部卿などの要職を経て、1885年(明治18年)に我が国の初代内閣総理大臣になっています。
2015/10/30 14:59:44
松下村塾の創立者である、松陰の叔父である玉木文之進の旧宅です。
1842年(天保13年)に松下村塾を開き多くの子弟を教育しました。
旧宅前には「松下村塾発祥之所」と刻まれた石碑が立っています。
2015/10/30 15:37:54
吉田松陰の墓は、松陰誕生地に隣接し、団子岩とよばれる小高い場所に建っています。
墓所には、杉百合之助、吉田大助、玉木文之進など一族の墓のほか、門人の高杉晋作などの墓が立ち並んでいます。
幕末の日本史上に影響を与えた松陰と係りの深い人々との墓所として多くの方がお参りにきます。
2015/10/30 15:46:34
吉田松陰は、天保元年(1830年)に、萩藩士杉百合之助の次男としてこの地で誕生しました。
誕生地は萩市内を一望できる「団子岩」とよばれる高台にあり、風光明媚な場所です。
誕生地には建物はありませんが、大正時代に設置した間取りを示す敷石が残っています。
2015/10/30 15:59:04
JR西日本の山陰本線の駅で、萩市の代表駅であり、市内の中心部に最も近い駅です。
1925年(大正14年)に、国有鉄道美禰線が萩駅から延伸し、その終着として開業しました。
2005年(平成17年)までは「特急いそかぜ」も停車していましたが、現在は優等列車は走っていません。