2015年09月23日 大牟田市内ポタリング

マーカーリスト

写真レポート


万田坑

2015/09/23 10:01:08

万田坑

この日は、荒尾駅から適当な場所まで北上する予定でした。
万田坑などが、世界遺産への登録が決まったことを思い出し、世界遺産登録の地を回ることにしました。
石炭は、日本の産業革命を支え、近代日本の礎を築く源となったエネルギーでした。
荒尾市や大牟田市にまたがって隆盛を極めたのが三池炭鉱です。



万田坑

2015/09/23 10:21:48

万田坑

三池炭鉱、その中心的存在が、明治の頃の技術の粋を集めて建造された日本最大規模の2つの竪坑を持つ「万田坑」でした。
1800年代の終わりから1900年代初めにかけて2つの竪坑が建造され、設備や機械も充実した炭鉱でした。
1900年代前半に採炭は最盛期を迎え、日本の産業振興を支えました。



万田坑

2015/09/23 10:45:48

万田坑

エネルギーの主役が石油に移行したこともあり、1951年(昭和26年)に採炭が終了し、1997年(平成9年)に万田坑は閉山となりました。
炭鉱が閉山となったのち、万田坑は、日本の近代化を支えた場所の一つとして国の重要文化財と史跡に指定されました。
この万田坑をはじめとした、日本の近代化になくてはならなかった近代産業遺産が周囲には数多く残っています。
2015年(平成27年)に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産への登録されました。



宮原抗

2015/09/23 11:17:03

宮原抗

宮原坑は、1889年(明治22年)に三池炭鉱が明治政府から払い下げられ、1895年(明治28年)に開削工事を開始しました。
1898年(明治31年)に第一竪坑が、1901年(明治34年)に第二竪坑が竣工しました。
宮原坑は、当初、坑内の湧水を汲み上げて排水することを主な目的として設置された坑口です。



宮原抗

2015/09/23 11:30:13

宮原抗

三池炭鉱閉山当時のままの状態を間近に見ることができます。
施設は、国の重要文化財に指定されています。
今も残る第二竪坑と煉瓦造の巻揚機室を見ることができます。
現存する日本最古の鋼鉄製櫓です。



三池税関支署

2015/09/23 12:10:08

三池税関支署

1908年(明治41年)に三池港が開港した時に、開庁したのが長崎税関三池税関支署です。
建物は、木造平屋建、入母屋造に切妻造附き、桟瓦葺一部銅板葺です。
明治期の洋風建築としての風貌を残し、三池港の歴史・港湾機能を考える上でも重要な施設です。



三池炭鉱三川電鉄変電所

2015/09/23 12:21:18

三池炭鉱三川電鉄変電所

三池港に通じる三池炭鉱専用鉄道用の旧変電所です。
1909年(明治42年)、三池港東側にあった四山火力発電所に隣接して建設され、当時は「四山変電所」と呼ばれていました。
1998年(平成10年)に民間企業が三井鉱山株式会社から買収し、現在は本社屋として使用されています。
修復を進めながらも、極力本来の姿を維持しながら活用されています。



三川抗

2015/09/23 12:27:08

三川抗

三井鉱山三池鉱業所の一施設で、三池港の近くにあります。
第一斜坑・第二斜坑とがあり、有明海の海底に向かって西へ坑道が伸びています。
戦争遂行のため石炭増産が求められる中、1937年(昭和12年)に建設が開始され、1940年(昭和15年)に完成しました。
1963年(昭和38年)に第一斜坑の坑口から約1600メートル付近の斜坑で炭塵爆発を起こしています。
死者458名、一酸化炭素中毒患者839名を出したこの事故は、戦後最悪の炭鉱事故・労災事故と言われています。



旧三井港倶楽部

2015/09/23 12:53:33

旧三井港倶楽部

旧三井港倶楽部は、1908年(明治41年)に、三井財閥の迎賓館として建てられました。
優雅な姿は、明治を代表する西洋建築の傑作といわれております。
現在はレストランや結婚式場として利用されています。



大牟田駅

2015/09/23 13:06:33

大牟田駅

今回の自転車旅のゴールの大牟田駅です。
JR九州の鹿児島本線と、西鉄の天神大牟田線が乗り入れています。
駅前で自転車を分解して、福岡空港経由で帰ります。