2015年1月10日 有田市から和歌山市まで走りました

マーカーリスト

写真レポート


湯浅湾

2015/01/10 09:52:11

湯浅湾

アップダウンを繰り返すと、湯浅湾を一望できる場所に出ました。
美しい海岸線や無人島があるので、シーカヤックのコースとして人気です。
洞窟探検や無人島への上陸など、色々と楽しめるそうです。



多美恵比須神社

2015/01/10 10:38:56

多美恵比須神社

県道173号を進んでいると、太鼓の音色が聞こえてきました。
ちょうどお祭りだったようです。
神社の名前からゑびす様をお祀りしているんでしょうか。



下津駅

2015/01/10 11:17:00

下津駅

JR西日本の紀勢本線の駅で、1924(大正13)年に紀勢西線の開通に伴い開業しました。
駅から歩いて数分の所には、下津港があります。



マリーナシティを望む

2015/01/10 11:50:55

マリーナシティを望む

和歌山湾にある人工島で、1994(平成6年)に開催された世界リゾート博に合わせて6年かけて造られました。
人工島には、テーマパークやホテルなどがあり、多くの人で賑わっています。



サンブリッジ

2015/01/10 13:05:50

サンブリッジ

和歌浦湾の一部を埋め立てた人工島マリーナシティに架かる橋です。
島にはテーマパーク「ポルトヨーロッパ」などがあます。
島内のヨット倶楽部は「マリーナシティ海の駅」として海の駅の登録を受けています。
お昼を食べようと思ったのですが、人が多すぎて諦めました。



紀三井寺

2015/01/10 13:27:55

紀三井寺

名前の由来は山中に三つの井戸があることからきているそうです。
西国観音霊場第二番札所です。
境内には約600本の桜の木が植えられており、関西一の早咲きの桜の名所として有名です。
「近畿地方に春を呼ぶ寺」とも言われています。



紀三井寺

2015/01/10 13:44:45

紀三井寺

紀三井寺は、770(宝亀元)年に唐の僧為光(いこう)上人によって開かれました。
和歌山城からほど近いところにあるため、歴代藩主が訪れ、紀州徳川家の繁栄を祈願した寺です。
本堂には10代藩主治宝(はるとみ)が寄進した多宝塔が安置されています。
六角堂は、西国三十三箇所を巡礼するのに等しい功徳があると伝えられています。



妹背山

2015/01/10 14:07:55

妹背山

妹背山は万葉集にも出てきます。
和歌浦にある船頭山、妙見山、雲蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山のなかで唯一小島として残っている山です。
当時の面影が偲ばれる場所です。
妹背山には、初代紀州藩主徳川頼宣が造った多宝塔や観海閣があります。



雑賀崎灯台

2015/01/10 15:11:40

雑賀崎灯台

中世に雑賀崎城があった雑賀崎の鷹の巣と呼ばれる崖の頂上にある白い灯台です。
初点灯は1960(昭和35)で、比較的新しい灯台です。
海上交通の要衝である紀伊水道を見守っています。



雑賀崎

2015/01/10 15:14:40

雑賀崎

灯台の展望台からは、紀伊水道に浮かぶ双子島、中ノ島、大島と番所の鼻を眺めることができます。
ここから見える夕日は絶景です。
雑賀崎では彼岸の中日の日没時、「ハナがフル」といって沈む太陽から様々な色の光の玉が降るのを見る風習があります。
その日は夕日をひと目見ようと沢山の人が灯台にやってきます。



和歌山港

2015/01/10 15:41:55

和歌山港

南海フェリーが和歌山港から徳島港まで約2時間で結んでいます。
40,000トン級の大型コンテナ船が接岸可能な岸壁や大型クレーンを備えた国際コンテナターミナルがあります。



和歌山城

2015/01/10 16:36:10

和歌山城

和歌山城は、和歌山市の中心部にある虎伏山にある和歌山市のシンボルです。
1585(天正13)年に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。
まず、秀長の城代として桑山重晴が入り、1600(慶長5年)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城しました。
そして、1619(元和5年)には徳川家康の第10男・頼宣(よりのぶ)が入城し、紀州55万5千石の城となりました。
以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできました。



岡口門

2015/01/10 16:46:15

岡口門

築城時は大手門(表門)でしたが、浅野期の途中から搦手門(裏門)となりました。
現在の門は1621(元和7)年に建造された二階建ての門です。
岡口門は空襲でも焼けずに残った旧藩時代の数少ない遺構で、国の重要文化財に指定されています。



御橋廊下

2015/01/10 17:02:55

御橋廊下

藩主の趣味の場である西の丸と生活の場である二の丸大奥とをつなぐ廊下橋です。
殿様とお付の人、奥女中が二の丸と西の丸を行き来するために架けられました。
風雨を避け、外から姿が見えないように屋根と壁を設けています。
両岸の高低差のため斜めにかかる珍しい橋で、滑らないように廊下の床板が鋸歯状に組まれています。