2014年4月12日 江津駅から石見銀山まで走りました

マーカーリスト

写真レポート


江津駅

2014/04/12 08:29:18

江津駅

JR西日本の山陰本線と三江線の駅です。
1920年(大正9年)に山陰本線の延伸により、石見江津駅として開業しました。
1970年(昭和45年)に江津駅に改称されました。
改称された理由は、JR北陸本線の郷津(ごうづ)駅が廃止により、読み方が「ごうつ」と似ている駅が無くなったためだそうです。
今回は江津駅を起点に、世界遺産の石見銀山に寄ってきます。



浅利駅

2014/04/12 09:10:40

浅利駅

JR西日本の山陰本線の駅で、1918年(大正7年)に山陰本線が浅利駅まで延伸し、終着駅として開業しました。
駅舎には銀行の代理店が入っていました。



宝殿ヶ鼻

2014/04/12 09:36:20

宝殿ヶ鼻

宝殿ヶ鼻は、江津市の後地町地区と尾浜地区の境にある岬です。
周辺には風力発電の風車が多くありました。
少し沖には大島を見ることができます。



福光海水浴場

2014/04/12 10:05:56

福光海水浴場

遠浅の穏やかな海岸で、石見福光駅の近くの海水浴場です。
岩礁や入り組んだ海岸線が多い温泉津で、砂浜の海水浴場として楽しめる場所です。



温泉津津温泉

2014/04/12 10:35:16

温泉津津温泉

旅の僧が、湯に浸かって傷を治している狸を見つけたとか。
縁結びの神様大国主命が病気のウサギをお湯に入れて救ったことから始まったともいわれています。
発見されてから約1300年の歴史を持ち、湯治場として評判の由緒ある温泉です。
外湯は「元湯泉薬湯」と「薬師湯」の2箇所あります。



温泉津駅

2014/04/12 10:43:51

温泉津駅

JR西日本の山陰本線の駅で、1918年(大正7年)に山陰本線の延伸に伴い開業しました。
世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録されている温泉津温泉への玄関口の駅です。
駅舎にはJAが同居していました。



沖泊

2014/04/12 10:56:32

沖泊

石見銀山を毛利氏が支配した16世紀後半、銀の積み出しと石見銀山への物資補給が行われた港です。
江戸時代には北前船の寄港地として栄え、船をつなぐ「鼻ぐり岩」がたくさん残っています。



櫛島公園

2014/04/12 11:11:17

櫛島公園

入り江の多い複雑な海岸線を望むことができます。
周辺では、磯釣り,海水浴,ダイビング,キャンプなどを楽しむことができます。
後鳥羽上皇が隠岐に流される時に大嵐で島に漂着し、島人に愛用の櫛を授けられたという伝説があります。



湯里駅

2014/04/12 11:47:26

湯里駅

国道9号沿いにあるJR西日本の山陰本線の駅です。
1935年(昭和10年)に山陰本線の馬路駅と温泉津駅の間に新設されました。
かつての駅舎は木造でした。
ここから国道9号とは別れて、県道201号で石見銀山に向かいます。



矢滝トンネル

2014/04/12 13:04:46

矢滝トンネル

温泉津から石見銀山へ向かう、県道201号にあるトンネルまできました。
県道201号は、途中から道幅は非常に狭く、対向車が来たらどうするんだろうと思いながら走っていました。
矢滝トンネルは、自転車道にあるような小さなトンネルでした。



矢滝城跡

2014/04/12 13:07:53

矢滝城跡

矢滝城跡は、標高634mの矢滝城山の頂上にあります。
当時のお城は、石見銀山防衛と交通路掌握の重要な役割を担っていたのでしょうね。



羅漢寺

2014/04/12 13:43:53

羅漢寺

羅漢寺は、五百羅漢を安置するために建立されたお寺です。
五百羅漢像は、必ず誰か知っている人の顔に似ているものがあると言われほどです。
その表情もとても豊かです。



福神山間歩

2014/04/12 14:15:33

福神山間歩

石見銀山には約600の間歩があるそうです。
そのほとんどは、幕府直轄の間歩だそうですが、この福神山間歩は個人所有の間歩の時期もあったそうです。
入口には鉄柵が設置されていて中も暗く、間歩の中の様子はわかりません。



龍源寺間歩

2014/04/12 14:24:44

龍源寺間歩

龍源寺間歩は、石見銀山遺跡の中で、唯一公開されてい間歩です。
龍源寺間歩は1715年(正徳5年)から掘削が始まったそうです。
他に永久、大久保、新切、新横相間歩とともに代官所の直営で「五か山」と呼ばれていました。



龍源寺間歩

2014/04/12 14:25:34

龍源寺間歩

江戸時代の開掘の長さは600mに及んでいます。
その長さは大久保間歩についでの大坑道で、良質の銀鉱石が多く掘り出されたそうです。
閉山したのは太平洋戦争中の1943年(昭和18年)と言われ、228年間も間歩の開発が行われました。



龍源寺間歩

2014/04/12 14:28:24

龍源寺間歩

間歩の壁面には当時のノミの跡がそのまま残って、当時の様子を垣間見ることができます。
また排水のため垂直に100mも掘られた竪坑も見ることができます。
石見銀山遺跡は、1969年(昭和44年)に国の史跡に指定されました。
さらに2007年(平成19年)に、鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産に登録されました。



新切間歩

2014/04/12 14:50:04

新切間歩

代官所の直営で「五か山」のの1つの間歩です。
1715年(正徳5年)に坑道内にたまった地下水を抜くための疎水坑として開発されました。
その後、享保年間に鉱脈に掘り当たったそうです。



清水寺

2014/04/12 14:53:49

清水寺

清水寺は、創建時は仙山頂上付近の石銀地区に天池寺という名で建てられていたそうです。
平安時代に清水谷に移転するとともに、清水寺と改名されました。
寺宝の「辻ヶ花染丁字文胴服」は徳川家康から拝領されたもので、国の重要文化財に指定されています。



清水谷製錬所跡

2014/04/12 15:00:39

清水谷製錬所跡

清水谷製錬所跡は、明治時代に作られた最新の近代的設備を持った製錬所です。
採れた鉱石の質では採算が取れず、わずか1年半で操業を停止してしまったそうです。
山の斜面に石積みの遺構が残され、早春には梅の名所として知られています。



豊栄神社

2014/04/12 15:12:09

豊栄神社

16世紀後半に石見銀山を支配した毛利元就を祭る神社です。
第2次長州戦争の際、進軍した長州軍がここに毛利氏が祭られていることに感激し、境内の整備を行ったという逸話があるそうです。
とても古く、歴史が感じられます。



旧大森区裁判所

2014/04/12 15:57:39

旧大森区裁判所

1890年(明治23年)に開設された旧大森区の裁判所です。
大日本帝国憲法の施行に伴い、島根県に8か所設立された裁判所の一つです。
旧法廷が一部復元され、町並み交流センターの施設の一部として公開されています。



石見銀山資料館

2014/04/12 16:02:14

石見銀山資料館

資料館となっているこの建物は、1902年(明治35年)に建てられた邇摩郡役所をそのままに利用しています。
絵巻物や古文書、銀鉱石や精錬関係の道具などが展示されています。
この場所には江戸時代、石見銀山領の支配の拠点である代官所が建っていました。