2012/07/28 08:07:09
えさし海の駅脇には、実寸大で復元された開陽丸が係留されていて、開陽丸記念館として公開されています。
開陽丸は慶応2年(1866年)にオランダで造られ、政府・徳川幕府の旗艦として利用されます。
明治元年(1868年)の箱館戦争の最中、暴風雪により北海道江差沖で座礁・沈没ししてしまいました。
沈没してから100年以上経った昭和49年(1974年)に、江差港湾に開陽丸の存在が確認されました。
翌年の昭和50年から日本で初めて本格的な水中遺跡の調査が実施されました。
引き揚げられた遺物は船具や武器、生活用品と様々で、約3万点に及んだそうです。
2012/07/28 08:15:24
言い伝えでは約570年前の文安4年(1447年)に折居姥の草創とされています。
文化14年(1817年)には正一位姥神大神社宮号を勅許された北海道最古の神社です。
毎年8月9日から11日まで、豪華な山車や御輿が町を練り歩く渡御祭が行われます。
2012/07/28 08:26:14
江差港は自然の良港として、蝦夷地と言われた時代より繁栄を続けたそうです。
現在は砂・砂利・石材等の積出港として、また、奥尻とのフェリー基地として利用されています。
2012/07/28 08:56:09
江差港と奥尻島を約2時間で結びます。
旧会社名は東日本海フェリーで、僕にはそちらの方が馴染み深いです。
2012/07/28 11:45:02
奥尻島へのアクセス方法は、海と空からです。
海からのアクセスは、フェリーが江差町とせたな町から運航しています。
港から時計回りで島を一周します。
2012/07/28 12:25:52
奥尻島のシンボルです。
自然に形成されたもので、ドーナツ型で鍋の弦に形が似ていることからその名がつきました。
高さは19.5mだそうです。
2012/07/28 12:38:02
島で採れるムラサキウニをシンボル化したモニュメントがあります。
夜には120本のトゲが美しくライトアップされています。
2012/07/28 13:13:12
8kmの長い浜辺ということからこの名がつきました。
この一帯はみかげ石ばかりであることから、「みかげ石海岸」とも呼ばれています。
2012/07/28 13:47:57
望海橋は平成5年(1993年)の北海道南西沖地震の後、平成12年(2000年)に建設されました。
海面から高さ7.7m、幅31.9m、長さ163.5m。面積4,650平方メートルあり、2,325人の避難スペースを確保できます。
港で漁業者等が作業に従事している際、地震による津波発生の際、即座に高台へ避難するために造られたそうです。
2012/07/28 13:57:07
奥尻島の南端。青苗港の背後の高台に建っています。
昭和60年(1955年)に初点灯されました。
2012/07/28 14:00:57
平成5年(1993年)7月12日午後10時17分、奥尻島に大きな被害をもたらした北海道南西沖地震。
その災害の記憶と教訓を後世に伝えてています。
学芸員の方に丁寧に説明していただきました。
2012/07/28 14:05:37
津波館の隣にある慰霊碑「時空翔」です。
北海道南西沖地震で亡くなられた方の名前が刻まれています。
慰霊碑の向きは、地震があった日と同じ7月12日の夕日が沈む方角だそうです。
2012/07/28 14:54:07
青苗岬の先端、徳洋記念緑地公園内に建つ徳洋記念碑です。
明治13年(1880年)に、イギリスの艦隊旗艦「アイヨン・デューク号」が青苗沖で座礁しました。
乗艦していた有栖川宮が先頭に立って救助を行ったのを記念して建立されました。
2012/07/28 15:17:57
奥尻島の南部に位置する空港です。
現在は北海道エアシステムが函館から就航しています。
滑走路は1,500mしかありません。
2012/07/28 15:38:22
奥尻島の南西岸にある周囲約500mの小島です。
無縁島には悲しい伝説があるそうです。
2012/07/28 15:47:27
「ホヤの石」の近くにある滝です。
冬には滝が凍結して絶景だそうです。
2012/07/28 15:50:12
高さが約25mで、ホヤに似た岩です。
海が荒れた冬の日には、西海岸へホヤがうち寄せらるそうです。
2012/07/28 16:03:47
戦国武将の鎧兜に似ていることからその名がつきました。
北海道南西沖地震の時にはその半分が崩れ落ちました。
2012/07/28 16:16:05
本日の宿です。
かなり大き目のホテルでした。
温泉も良し、夕日も良しでした。