2010年11月6日 静岡から掛川まで走りました

マーカーリスト

走行レポート

今回は友人のVちんと静岡から走ります。
大崩海岸と御前崎に向かいます。
ゴールは御前崎で考えることにしました。
東海道線を乗り継いで静岡に到着です。

静岡駅を10時頃に出発します。
まずは静岡清水自転車道を目指します。
自転車道は整備されていて走り易いです。
多くの方が、サイクリングやジョギングで楽しまれていました。
でも、トイレ等の休憩場所が少ないかも。
安倍川を越えて県道416号線で大崩海岸へ進路を取ります。
東海道本線のトンネルが見えると上りが始まります。
ダラダラとした上りが石部海上橋の先のトンネルまで続きます。
海の方を見ると富士山を見ることができました。
崖の方を見ると、朽ちたトンネルを見ることができます。

大崩海岸の過去の国道は山を避け海岸すれすれを通っていました。
昭和46年7月に大規模な崩落が起きました。
そして23歳の尊い命が失われた悲惨な事故が起こってしまいました。
その事故によって、海の上を通る橋が建設されたそうです。

トンネルの先から市境までは、キツイ上りが待っていました。
1.5キロ位しかないのですが、平均で5~6%程だと思います。
トンネルの中が一番の勾配がありました。
トンネルを抜けると、一気に焼津市内まで下りです。
タイトなコーナーもあるので、速度に注意ですよ。

焼津の漁港で昼食と洒落込みました。
食べたのは、お刺身定食です。
美味かったですよ。
沢山のお店があるので、気に入ったお店を選ぶといいと思います。

昼食後、自転車に戻ると前輪がパンクしているのを発見。
ちなみに、この自転車で実質初めてのパンクです。
チューブを交換してスタートです。
静岡御前崎自転車道走るために、国道150号線で大井川を越えます。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠われています。
これは難所の大井川を渡る苦労をあらわした句です。
何で橋や船が駄目だったのか。
江戸の防衛と駿府城の外堀の役目を果たすためだったそうです。
徳川さんもずいぶん冷たいことをしますよね。
自分の身のためとは言え。

大井川を越えると自転車道の案内が出てきました。
それに従って国道をくぐります。
でも普通の道路でした。
専用道じゃないのかよって。

でも少し走ると、独立された専用道が現れました。
これは、静岡鉄道駿遠線の軽便鉄道の軌道跡だそうです。
この軌道跡を快調に進み御前崎と進みました。

御前崎では灯台に寄ってきました。
この灯台の歴史は江戸時代になるそうです。
小さい灯篭をかざしいたのが始まりだそうです。
今の灯台は明治時代からあるんですって。
日本の灯台50選にも選ばれています。

灯台で休憩しながら、今日のゴールを決めることに。
既に15時を回っています。
間もなく暗くなりはじめるので、近くの駅にしようかと。
でも、帰りの電車のことを考えて掛川にしようとか。
結局、新幹線で帰ることになり、掛川駅をゴールとしました。

県道357号線で浜岡原発まで進み、右折して県道37号線に向かいます。
途中で日が暮れてライトを付けて走ることになりました。
掛川駅まで若干の上りがありましたが、何とか無事に到着です。

コース
静岡駅-下島南-(自転車道)-南阿部川橋-(R150)-用宗-(県416)-焼津港-焼津5-(県416)-
木屋川橋-(R150)-富士見橋-(自転車道他)-御前崎-(県357)-法ノ沢-(県372)-東町-(県37)
-上平川-(県396)-下内田-(県79)-中内田-(県386)-上内田-(県38)-掛川駅

同行者  Vちん
走行距離 89.8キロ
天気   晴れ後曇り

写真レポート


静岡駅

2010/11/06 09:57:47

静岡駅

今回は静岡から西に向かいます。
大崩海岸や御前崎灯台に寄る予定です。



大崩海岸から

2010/11/06 10:54:27

大崩海岸から

石部海上橋から海のほうをみると富士山が見えていました。
ちょっと霞んでいていますが、いい天気です。



石部海上橋

2010/11/06 10:55:22

石部海上橋

大きく海上へ張り出した橋です。
大崩の絶壁と激しい波を避けるようしているんでしょうか。



焼津漁港

2010/11/06 12:31:31

焼津漁港

全国でも有数な水揚げ量があります。
特にまぐろやかつおは全国1位です。



大井川

2010/11/06 13:11:51

大井川

江戸との防衛ため橋を架けることは禁止されていました。
また、船による渡し舟も厳禁とされています。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」は、有名な句です。



御前埼灯台

2010/11/06 15:15:19

御前埼灯台

寛永12年(1635年)に徳川幕府が
あんどん型の見尾火灯明堂を建てたのが始まりと言われています。
今の灯台は、明治7年(1874年)に初点灯されました。
「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となりとなっています。